マナーうんちく話1766《逝き方の選択とそのお作法・不作法③》
戦国の武将織田信長は「人間50年、化天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」という詞章を好んだといわれていますが、それから500年近く経過した今は「人生100年」の時代になりました。
ちなみに化天とは「化楽天(けらくてん)」という仏語で、ここに生まれると8000歳の長寿を保つといわれる楽土です。
たかが50年の人間の人生は、化楽天に比較すれば儚いものであるという意味です。
だからこそ、この世に生を受けたら一生懸命生き、やるべきことを成し遂げなければいけないということでしょう。
人生100歳時代になればなおさらのことで、長寿をネガティブに捉えるのではなく、前向きに捉えたいものですね。
日本は明治維新以後何もかも急激な変化を遂げました。
寿命もそうです。
恐らく江戸末期から明治の初めの平均寿命は40歳代ではないでしょうか。
それが1950年には男性が58歳、女性は61歳になり、現在では男性が81歳、女性は87歳です。
100歳人口は統計が始まった昭和38年には全国で153人だったのが、56年には1000人に、さらに平成10年には10000人の王台になり現在では約70000人です。
そして平均寿命や100歳人口が増えると、今度は単に長生きを競うより要介護状態や病気にならないで、自立して健康に生きる「健康寿命」というキーワードが生まれ、これに重きが置かれるようになってきました。
ちなみに健康寿命とは2000年にWHOが提唱した概念です。
さらに人生の質が問われるようになってきました。
「いかに長く生きたかも大切でしょうが、いかに良く生きたか」も大切になってくるということだと思います。
「価値ある人生は長し」といわれますが、寿命の長さだけで人生を図るのではなく、一生懸命生きて、充実した仕事を成し遂げれば、たとえ長く生きていなくともその人は価値ある長い人生になると説いた言葉です。
私の理想は「長く・良く生きる」です。
それが実現できる人生がやってきたということです。
ところで「二毛作」とは同じ畑に異なる種類の作物を二種作ることで、以前は日本の多くの畑で麦と米を作っていました。
そして「人生100歳二毛作時代」とは、現役の人生と、現役を過ぎたその後の人生ということです。
つまり、長寿になったおかげで、定年後の人生が飛躍的に長くなり、ここでももう一花美しく咲かすことができるようになったというわけですね。
戦後まもなく発表された「サザエさん」の父、磯野浪平さんの時代は定年後間もなく人生を閉じますが、現在は定年後さらに「現役時代とは趣の異なった新たな人生」が待っているということです。
この人生をいかに生きるか?ですが、ここで2000万円不足になるということで心配や不安を抱えネガティブに過ごすか、多くの自由時間に恵まれた時間を前向きに元気はつらつと生きるかでは、本人も、家族も、地域も、ひいては社会全体に雲泥の違いが出ます。
そこで不必要に2000万円という数字に躍らせられることなく、いかに有意義に過ごすか?
そのために「本当に大切な議論は何か?」について考えていきたいと思います。
いずれにせよ、個人の人生設計も、社会の仕組みも、環境も、大きな変革を迎えることは間違いありません。生き方も地域のコミュニティーの在り方も変わるということです。
「人生100歳二毛作時代」を自分の事として捉えていただきたいものです。