マナーうんちく話134≪贈答の基本とマナー≫
そもそも日本では縄文時代の頃から贈答の習慣があったといわれます。
このころは稲作文化も未発達で、狩りで射止めた小動物やクルミや栗などの木の実が主な食べ物であったと思われます。
しかし子どもや高齢者は、狩りもできなければ、木の実もとることはできません。
そこで元気な男が代表して狩りや果物をとって、子どもや高齢者に分配したわけです。
これが日本におけるテーブルマナーの起源であり、贈答の起源の一つといわれています。
遠い昔から互いに支えあい、助け合って生活してきたわけですね。
やがて稲作が栄え、人々はそこの土地に定住することになると、共同体が生まれます。そして村を上げて神事が執り行われるようになります。
稲が豊作になりますように!村人皆が息災でありますように!子孫が繁栄しますように!などと祈願しますが、その際、神様に酒や魚や野菜をお供えします。
神様へいっそうの加護を祈り、供物をささげたわけです。
神事が終われば、神事に参加した人たちで供え物を食べます。
これが贈答のもう一つの起源だったとの説があります。
神事に参加した人と神の「共食」であったものが、やがて人々同士の間でやりとりされ、贈答の習慣へと広がったわけですね。
また中世以降の武家社会での文化では、当時の贈答は物と物の交換が主流だったようです。
つまり贈り物を頂いたら、頂いたものの金額にマッチする物をお返しとして贈ったのでしょう。
均等に交換し合うわけですから、対等の付き合いになったわけです。
ではどんなものが贈られたり贈ったりされたのでしょうか?
当時の価値観では圧倒的に食べ物が多かったようで、赤飯や餅が重宝されていたようです。
今でもお中元やお歳暮に食べ物が多いのはこの名残だと思います。
また衣類等も喜ばれたようです。
生活に直結する衣類や食べ物が中心になるのは頷けます。
このように付き合いの証として、何かにつけ品物を贈りあう習慣が、時代の流れとともに、さらにいろいろなものが加味され複雑さを増してきました。
お歳暮やお中元、子どもの成長に関する贈り物、結婚や葬儀など、さらに災害時のお見舞い、病気の見舞い、新築祝いまでに広がり、挙句の果てには「包装紙」や「熨斗」や「水引」の文化まで出来上がったわけです。
ちなみに日本の文化において、贈答の心遣いは非常に細やかなものがあります。
これはとてもユニークな文化ですから次回改めて解説いたします。