マナーうんちく話1685《時の記念日と時間泥棒》

平松幹夫

平松幹夫

テーマ:歳時記のマナー

梅雨に入り蛍が飛び交う頃になりました。
蛍は成虫になるまでかなりの時間を要しますが、成虫になるとほとんど水だけで、光を放ちながら飛び続け、短い生涯を終えるそうです。

「蛍二十日に蝉三日」といわれます。
先人は蛍や蝉に人生のはかなさを感じ取っていたようですが、現在は人生100歳時代です。

世界屈指の長寿をいかに心豊かに過ごすか?
この言葉からそれを学ぶことが大切と考えます。
そして一日一日を大切にしたいものです。

ところで日本には国民の祝日や年中行事を始め、いろいろな記念日が沢山あります。各種団体、民間企業が定めたものまで含めると実に2800を超えるそうです。

ちなみに人が生活をするに当たり、大切にしたいものの一つに「時」がありますが、6月10日は「時の記念日」です。

日本の新幹線にせよ航空機にせよ、その時間の正確さは世界一といわれていますが、その原因は、「時の記念日」が1920年に制定されたおかげかもしれませんね。

時間をきちんと守り、欧米のように生活の改善を図り合理化を図ろうという趣旨で制定されたようですが、この効果は素晴らしかったのではないかと思います。

ではなぜ6月10日になったのでしょうか?

その昔、天智天皇が唐から伝わった「水時計」を671年に建造して、太鼓を叩き、鐘を打って時を日本で初めて伝えたのが、現在の暦に換算すると6月10日だったという説が有力です。

そのような歴史をたどったおかげでしょうか、今の日本は非常に時間に正確ですが、「時の記念日」は国民の休日ではないので意外に知らない人が多いようです。

改めて時間を守ることの大切さと、時間を大切にすることを認識したいものです。

江戸時代の人も時間をとても大切にしたようで、「時間泥棒」という江戸しぐさがあります。

時をどのように盗むの?と疑問がわくかもしれませんが、例えば相手の家にアポイントなしで突然訪ねていくこともしかりです。
また約束の時間を守もらないことを、「時間を奪う」ととらえていたようです。

江戸時代の人がモノや時までを大切にしていたということは理解できますが、当時の一般庶民は、大名のように正確な時計は持ち合わせていません。
従って時間の約束も無理なような気もします・・・。

例えば水時計の前は「日時計」だったと思います。
しかしこれは、日中はある程度役に立つとしても夜はダメでしょう。

さらに一日を12等分して、12支を当てはめていたようですが、日の出を「明け六つ」、日の入りを「暮れ六つ」として時刻を表していた時もありました。

総じて今では考えられないくらい大まかだったのではないでしょうか。
太陽が昇れば起き、腹が減ればご飯を食べ、日が暮れれば眠る・・・。
優雅な暮らしだったかもしれませんね・・・。

今の日本では3食べるとともに、3時には「おやつ」をいただきます。
このおやつの語源ですが、当時の日本独自の時計では午後2時から4時頃までが「8つ時」に当たりました。

江戸中期頃までは一日2食だったようです。
だから午後3時くらいには小腹が減り、間食をします。
「やつ時」に食べるので、「お八つ」が「おやつ」になったといわれています。

3度の食事に加え、優雅なティータイムができることに感謝するとともに、時間泥棒にならないように、他人の時間を尊重するよう心がけたいものですね。

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平松幹夫
専門家

平松幹夫(マナー講師)

人づくり・まちづくり・未来づくりプロジェクト ハッピーライフ創造塾

「マルチマナー講師」と「生きがいづくりのプロ」という二本柱の講演で大活躍。「心の豊かさ」を理念に、実践に即応した講演・講座・コラムを通じ、感動・感激・喜びを提供。豊かでハッピーな人生に好転させます。

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