マナーうんちく話239≪バラ色の人生とマナー≫
江戸時代の武士も町人も庶民も礼儀作法に重きを置いたのは、次第に物が豊かになるにつれ、良好な人間関係を築く必要があったからでしょう。
そして先に触れたように日本の礼儀作法は戦争で明け暮れ、危機管理要素が濃い西洋のマナーと異なり、平和な社会から醸し出されています。
それゆえ《美しさ》を追求した面が多々あります。
立ち居振る舞いの基準の一つとして「美」を大切にしているということです。
しかし本来の礼儀作法の神髄は「こころ」と「かたち」です。
こころとは「相手を大切にする心」であり、かたちとはそれを言葉や態度や表情や文章等で具体的に表現することです。
この二つのバランスが上手にとれていれば申し分ないのですが、形ばかりが先走ったため、礼儀作法とは窮屈なもの、堅苦しいものになってしまったと思われます。
では心と形どちらが先かといえば、鶏と卵のような関係に思われるかもしれませんが、私は先ずは心ありきだと思っています。
心があって形を追求することにより、より美しさに磨きがかかるということです。
加えて礼儀作法の難しいところは「心」があっても「形」は一定ではないということです。まして時代がグローバルになってくると、国々の文化、歴史、気候風土、食文化、宗教などを互いに尊重しなければなりません。
たとえば「私はあなたの存在を確認しました。そして私はあなたと仲良くしたいと思っています」という心を表現するために挨拶をします。
その挨拶は日本ではお辞儀をしますが欧米では握手になります。
身体と身体を抱き合う地域もあるでしょう。
かつては「インターナショナル」という言葉が主流でしたが今は「グローバル」という言葉が身近になっています。
ヒト、モノ、カネ、ジョウホウなどが垣根を飛び変えて交流するようになったということでしょうか・・・。
しかし国と国の宗教や文化が違えば考え方も捉え方も当然異なります。
色々な意味で相手を尊重することが必要になってくるということです。
また時代とともに変化することも多々あります。
まして現在は時代が急激に変化していますし、今後さらに加速するでしょう。
コミュニケーションのツールも大幅に変わることが容易に予想されます。
つまり形は常に流動的で、昔の礼儀作法がそのまま通じるとは限らないということです。
ではどうする?
「なぜそうなるのか?」という理由を正しく理解するとともに、常に普遍的である心を大切にして、臨機応変に対応することに尽きると思います。
グローバル時代に対応するには総合的な人間力がより必要になってくると思います。