マナーうんちく話604≪武士は食わねど高楊枝≫
台風の動向が気になりますが、空が澄んで星や月がきれいに見えますね。
昔の人は、月の満ち欠けの形で農作業の目安を把握していたようですが、自然と真摯に向きあい、月を身近に感じて生活していたので、月を愛でる文化が根付いたのでしょうか。
旧暦は月の満ち欠けを基にしてつくられていましたが、明治の初めに現在の新暦に変わったので、季節に大きなずれが生じ、先人の思いをくみ取ることが難しくなりました。
物の豊かさや利便性ばかりに重きが置かれるとともに、国際化の大きな波を受け、先人が長い時間かけて築いてきた素晴らしい文化が影を潜めていくのは、本当に申し訳ない気持ちがします。
ところで、日常生活で、人にものを頼むときや、謝罪をするとき、さらに感謝の気持ちを表現するときには、「すみません」という言葉を使用する時が多々あります。
敬語のように片意地張らずに自然に発することができて、大変便利な言葉ですが、その反面、なんでも使えるだけに意味がやや薄れる感があります。
そして気になるのが「すみません」の言葉を発する回数です。
ちなみに「すみません」は「すいません」とも言いますが、これは「すみません」の俗な言い方で、どちらのいい方にも違いはないようです。
「すみません」は「済みません」の丁寧な言い方で、依頼、感謝、謝罪に使用されます。
「すいません」か「すみません」かは、会話の中では聞き手がどうとらえるかですが、大した差はないようですね。
ただメールや手紙の場合は「済みません」のほうが、好感が持たれるようです。
「申し訳ございません」なら、さらに深みが出るかも・・・。
「すみません」の本来の意味は、例えば謝罪の場合は、「相手に大変失礼なことをしてしまい、このままでは自分の気持ちが澄み切れない」意味があるようです。
感謝の場合は、「世話になって何のお返しもできずすみません」となるようですが、やはりそれに一番ふさわしい言葉がいいと思います。
お礼だったら「ありがとう」が一番でしょう。
この言葉は発するほうも、発せられるほうも、それを端で聞いている人も好感が持てます。
だから何回発してもいいわけです。
むしろ多いほどいいでしょう。
「おいしい」「素晴らしい」「気持ちいい」などもしかりです。
しかし謝罪の時に「すみません」の連発は好感が持てません。
もちろん、スマートフォンを見ながら歩いていて相手にぶつかったときのような場合に、潔く謝るのはとても大事です。
しかしそれを連発して最後まで何度も謝るより、「すみません」と一回言葉に発したら、次は「大丈夫でしたか?」などと、相手に対する思いやりの言葉があったほうが好感を持たれます。
自分の非ばかりに心が動けば、相手の状況や現実が見えなくなる恐れがあります。
ただ何回も誤ればいいものでもありません。
相手の状況を正しく把握し、謝罪の言葉とともに適切な対応ができれば、心が晴れてきます。
先人はお月さまが次第に満ちてくるとそれに伴い、いろいろなものを吸収したようです。
心と体をリフレッシュしたわけですね。
逆にお月様が次第に欠けていきだしたら、いろいろなものを放出して上手にバランスをとりました。さすがです。
「美味しい」、「うれしい」、「ありがとう」など、人が聞いて気持ちよくなる言葉はなるべく多く発し、「すみません」、「ご愁傷さまです」のような、心が暗くなるような言葉は必要最小限にしたいものです。