マナーうんちく話453≪冬来りなば春遠からじ≫
7月23日は二十四節気の一つ「大暑」でしたからまさに暦の上でも一年で最も暑い時期ですね。熱中症にはくれぐれもご注意ください。
江戸時代の人はシジミやウナギを食べ甘酒を飲んで暑気払いをしていたようですが、7月25日は「土用丑の日」で、全国津々浦々ウナギのかば焼きが飛ぶように売れる日ですね。
江戸時代のマルチ学者である平賀源内先生もさぞかし驚いていることでしょう。
もっとも万葉の時代からウナギは好まれていたそうですが、その食文化が1000年以上も風雪に耐え受け継がれているわけですから日本の歴史は本当にすごいですね。
ところで世の中が便利で豊かになり急激に移り変わる中、常にあわただしく活躍されている人も多いと思います。
昔ながらの手帳や最新の電子機器を巧みに使いこなして、スケジュールを上手に管理している人も珍しくありません。
ところがある日突然暦が変わってしまったらどうしますか?
ある日突然暦が変わることなんて予想もできないことですが、実は今から150年位前に現実に発生しています。
昔の生活は自然と寄り添い穏やかに暮らしていたわけですから、物事のとらえ方も比較的単純です。
例えば暦もそうです。
月の満ち欠けが基準になり、今日は満月だから15日ですよということになります。
新月から満月になるまでが15日、さらにその月が全部かけるまでが15日、合わせて30日でこれが一月ということになります。
そして一年は月の満ち欠けが12回繰り返されることになります。
ちなみに月のことを「太陰」と呼びますので、月の満ち欠けを基準にした暦のことを「太陰歴」といいます。
結構大雑把になるわけですが、これが10年も20年も経過すればかなり誤差が大きくなります。
そこで「夏至」と「冬至」、「春分」と「秋分」、さらに「立春」「立夏」「立秋」「立冬」を基準にした二十四節気、さらにそれを3等分した「七十二侯」が考案されるわけです。
このような暦が明治5年12月2日まで日常生活の中で延々と生きていたわけですが、明治新政府は財政的な理由でもって、12月2日の次の日をいきなり明治6年1月1日にさせました。
当時の驚きはすごかったことだと思いますが、残念ながらその様子を語れる人も今は皆無になったので、記録から推察せざるを得ません。
そこで新たに採用された暦が欧米諸国で使用されていた「グレゴリオ暦」です。
昔の暦は月の満ち欠けを基準にしますが、ほかにも太陽の動きも参考にしていたので「太陰太陽暦」を呼びますが、現代では明治5年まで使用されていたのを「旧暦」、それ以後使用されたのを「新暦」と言って区別しています。
旧暦の歴史は1000年以上もあり、新暦はわずか150年くらいです。
従っていたるところに旧暦の名残があってもおかしくありません。
例えばお中元やお盆も旧暦で行うところもあれば新暦で行うところもあります。
地域により様々ですが、新暦と旧暦の日付の誤差を換算するのはとてもややこしく、簡単には参りません。
新暦から見ると旧暦の日付は毎年同じではないからです。
そこで、誰でもすぐにわかるように、単純にひと月だけ遅らせる「月遅れ」が採用されたわけです。
ひと月後れの正月やお盆などはこのような経過をたどっていたわけですが、これだけ世の中が便利になったにもかかわらずすべて統一されないのは、旧暦には旧暦独特の良さがあるからでしょう。
旧暦には「自然に寄り添う生き方」が凝縮され、心豊かな生活をおくる知恵が満載されていると思います。
加えて温暖化防止などのヒントも沢山含まれているからではないでしょうか・・・。