マナーうんちく話73≪話好きになる方法とは?≫
広辞苑には20万語以上の言葉が掲載されているそうですが、そんなに多く存在する言葉の中から、どの言葉を選び、それをどのように表現するかは本当に難しいことだと思います。
ポイントは「言葉選び」と「言葉並べ」にあるようですが、お洒落にもセンスが大切なように、言葉遣いにもセンスが必要だということでしょうか。
より多くの言葉を理解し、それをセンス良く正しく使用すれば美しい言葉になるわけですが、実に困難な作業です。
良好な人間関係を築くには敬語も大切ですが、敬語ばかりだと、かえって心理的な距離が埋まらない場合もあります。
時と場合によっては「ため口」も必要でしょう。
江戸時代に大阪で丁稚に渡す子づかいを「ため」といい、番頭が部下の丁稚に対して使用する乱暴な言葉を「ため口」というようになったという説が有りますが、定かではありません。
また同学年を意味する若者言葉の「ため」から転じて、「友人同士の気軽な会話」を指すようになったとも言われています、
今では「同じ」「対等」という意味で、気の置けない者同士の間で交わされる言葉遣いをため口というようになりました。
親しい人同士が敬語で喋るよりは、本音のため口がすっきりしますが、やはり時と場合によりますね。
例えば接客の時等はやはり美しい言葉を選びたいものですが、一仕事終えて気の置けない者同士で居酒屋に行けばため口の世界になるでしょう。
会社の忘年会などで、今日は「無礼講」という場合はどうでしょう。
いくら無礼講とはいえ上司は上司です。
気楽に話せばいいのですが、ため口というわけにはまいりません
では最近の学校はどうでしょう。
先生と生徒の間に距離を置かないということで、同僚の様に喋るのもどうかと思います。
つまり誰が生徒か先生か?の様な「めだかの学校」にはならないでほしいものです。
社会人になって苦労します。
はやり学校は「美しい言葉遣いを学ぶ場」であってほしいものですね。
加えて言葉遣いの前にある人間関係にも注意したいものですね。
相手に合わせて、相手の嫌がることは言わない。
つまり敬語にせよため口にせよ、先ずは心ありきではないでしょうか。
今日本語が荒れていると思いますが、私は「クールビズ」や「ウオームビズ」に多いに関連していると思います。
自然と寄り添い、季節毎に美しい言葉をたくさん作った先人の感性は「衣替え」という言葉に象徴され、暑い中にもそれなりの節度を保ちましたが、クールビズは大きく変えてしまいました。
原発を容認しながらラフな服装を奨励すれば、おのずと言葉遣いもそれに倣うでしょう。
時代の流れだからと言えばそれまででしょうが、衣服の乱れは言葉の乱れに直結するでしょう。
勿論言葉は時代と共に変わります。
しかしその根源にあるモノは、自然に寄り添った、美しくて正しい言葉だと思うのですが・・・。