マナーうんちく話402≪喪中葉書を出す時・頂かれた時のマナー≫
少子多死社会を迎え、身近で葬儀に向かい合うことは多々あると思います。
最近は昔と異なり、自宅より病院で最期を迎える人が多くなり、加えて葬儀の殆ど葬儀会社が取り仕切るので、死にまつわる儀式を直接執り行う機会がめっきり少なくなってきました。
そのせいでしょうか、その儀式の意味が正しく認識されていない気がしてなりません。儀式の意味や意義を正しく理解していただきたいものです。
神様(神道)・仏様(仏教)の国日本では、結婚式は「神前式」から「キリスト教スタイル」に大幅に変化しましたが、葬式は依然として「仏式」が主流を占めています。恐らくこのスタイルは変わることはあまりないでしょう。
ただ、自宅で葬儀がとりおこなわれるケースはめっきり無くなり、殆ど葬儀会館で執り行われるケースが増えたため、本来の意味を知らなくてもいいようになったことも事実です。
なんだか複雑な思いですね。
そこで、死にまつわる色々な儀式の意味をシリーズで考えて行きたいと思います。最初は私が担当した数々の冠婚葬祭講座で関心が高かった「枕飯」を取り上げてみます。
故人を北まくらにして、枕許にご飯をお供えして、線香とろうそくをともします。これが「枕飯」です。
枕飯のご飯は大もりにして、それに箸を立てますが、これは「食べる人が決まっている」ことを意味します。
さらに、このご飯を焚く場合には、日常使用している釜ではなく、別の釜を使用して、故人の分だけの量を焚くのが一般的です。
今でもご近所の方が亡くなられたら、その講仲間が枕飯を焚く習慣がある地域もあります。一合の米を鍋で焚くケースが多いようです。
昔は葬儀が終われば「野辺送り」があるわけですが、枕飯は喪主の妻がもっていましたね。
ちなみに、死者を北枕にするのは、「お釈迦様が亡くなる時の寝姿にあやかり、死者が成仏するようにするため」だとされています。
ではなぜ枕飯を焚いて死者に備えるのでしょうか?
もともと米には「霊力」があると思われていたからです。
人が亡くなるとその魂がどこかに連れて行かれると言う不安と、魂が抜け出た後の抜け殻に魔物が侵入してくると言う二つの大きな不安が生じます。
だから霊力が宿っている米でこさえた枕飯と、ろうそくや線香の火の力でもって、魔物の侵入を防ぐわけです。
通夜の席で、ろうそくや線香を耐えさない理屈がお解りいただけたと思います。