マナーうんちく話569≪泥より出でて、泥に染まらず≫
今ではすっかり聞かれなくなりましたが、江戸時代の頃は、お盆の7月15日と小正月の1月15日のあくる日、即ち7月16日と1月16日は「薮入り(やぶいり)」でした。
丁稚や女中が、奉公先から実家に帰れる日です。
また、お嫁さんが、嫁ぎ先から実家に帰れる日でもあります。
昔は今のように教育制度も充実しておらず、しかも貧しい家が圧倒的に多かったので、10歳前後になると、殆どの子どもは商店などで働くようになります。
いわゆる「丁稚(でっち)」として、住み込みで、雑役や使い走りとして働き、様々な事、つまり商売の「いろは」とか「礼儀作法」、さらに「読み・書き・そろばん」等を教育され、一人前に育っていくわけです。
毎日、毎日、それこそ早朝から深夜まで働いたり、勉強したりの厳しい日が続くわけですが、一年に二回だけ、7月16日と1月16日に休日が頂けるわけです。
丁稚はまだ十分な仕事ができるわけではなく、修行中の身分ですから、衣食住は保障されるものの、給料と言えるものは有りません。
年に2回の薮入りの日に、実家に帰る際に、小遣いや衣服やお土産が支給されたわけですね。
小遣いやお土産を握りしめて実家に帰る、その嬉しい様が、目に浮かぶようですね。
一方、貧しいが故に、我が子を10歳前後で、丁稚奉公に出した実家の親も、子どもが帰ってくるので、とてもうれしいわけです。
首を長くして、色々とご馳走を用意して帰りを待ちます。
親だけではありません。
地域の幼友達や、近所の大人も楽しみに待ちます。
加えて、薮入りは、丁稚奉公に出た子どもと共に、嫁いだお嫁さんが実家に変える日でもあります。
夫が送ってくれるケースや一人で帰る場合もありで、地域ごとにユニークな風習が有ったようです。
以前、「お中元」や「お歳暮」の話題に触れましたが、嫁いだお嫁さんが実家に帰える時には、実家のご先祖様にお土産を持参しますが、これが、お中元・お歳暮の起源とされております。
ちなみに、他家を手土産持参で訪問する場合は、手土産は部屋に通され、キチンとした挨拶が済んで渡しますが、お嫁さんが実家に変える場合は、迎えてくれた母に玄関先で渡しても良いことになっています。
ところで、私たちは今でも、「盆と正月が一度に来た」と言う言葉を、耳にしたり口にしたりします。
これには、「大変忙しくなった」と言う意味と、「嬉しい事が重なった」と言う二つの意味が有ります。
来る日も来る日も、朝から晩まで働き詰めの幼い子供にとって、年に2回の薮入りは、「労働から解放される」、「小遣いが頂ける」、「新しい服が着られる」、「ご馳走が食べられる」、「親や兄弟や幼友達に会える」、「娯楽が楽しめる」等などで、それは、それは楽しかったことでしょうね。
素食を食べるからご馳走のありがたみが身に沁みる、辛いことが有るから嬉しい事が有る。苦労を経験するから思いやりの心が湧いてくる・・・。
物の豊かさや便利さに慣れ切ってしまった現在、薮入りの意味や意義は大きいですね。
改めて、物質的豊かさや利便性を謳歌できる、時代と国での生活に感謝・感謝です。
参考までに、10歳前後に丁稚奉公に出て、番頭になれるのは30歳前後で、ここまで到達するには非常に厳しい競争が有ったようです。