まなーうんちく話798《月々に 月見る月は 多けれど・・・。》
バレンタインデーのプレゼントは、もはや「本命」とか「義理」とかではなく、友人同士で交換し合うようになり、本来の意味や意義が薄れつつあります。
恋愛や結婚にネガテイブになったせいで、売り上げの低下を危惧した、業界の巧みな戦略でしょうか?毎年変わりようが激しいイベントですね。
また、プレゼントの内容も、チョコレートを始め、菓子やケーキ、小物、化粧関係と益々多彩になっているのが気になります。
この点が、本家西洋とは大きく異なるようですが、それでもバレンタインデーと言えば、チョコレートが嬉しい気がしますが、如何でしょうか?
ちなみに日本で、バレンタインデーにチョコレートを贈る広告が出されたのは戦前の事のようですが、本格化したのは昭和30年代に入ってから、デパートが「女性から男性に、チョコレートを贈るキャーンペーン」を展開してからだと言われております。
その当時は、まだまだ結婚も「見合い結婚」が幅を利かせた時代であり、まして、女性から愛を告白するような風潮は無かった時代ですが、それにも関わらず、あえて「女性から男性にチョコレートを贈る日」にした担当者は、すばらしい先見の明が有ったのでしょうね。
江戸時代に平賀源内が「夏の土用」に鰻を食べるようにしたり、江戸商人が「7・5・3」の日に千歳飴を考案したり、デパートの社員が神様(神道)・仏様(仏教)の国にキリスト教のクリスマスプレゼントを贈るようにしたり、飲食店主が節分に恵方巻きを食すよう仕組んだり、いつの時代にも賢い商売人がいるものですね。
そして、一億二千万人の国民が、それに何ら抵抗することなく受け入れるのは、神様・仏様が多神教であり、諸外国の文化もおおらかに受け入れると共に、贈り物を通じ、相手を思いやる日本人の優しい国民性のせいではないでしょうか。
さらに、日本がそれだけ、平和で物質的に豊かであると言うことでしょうね。
このような時代と国で生活できることに、改めて感謝したいものです。
ところで、バレンタインデーになぜ「チョコレート」を贈るのかご存知でしょうか?
チョコレートの歴史は古く、紀元前2000年頃にさかのぼると言われておりますが、その原料となるカカオは「神の食べ物」として重宝されていました。
そして、山羊の乳を羊の革袋に詰めて運んでいた、砂漠の隊商が自然発生的にチーズを発見したように、カカオの豆が山火事により焼けて、それが大変香ばしい匂いを発生させ、やがてチョコレートが作られるようになったとか。
既に、今から500年位前には、メキシコでチョコレートが飲まれていたそうで、それをスペインのフェルモント・コルテス将軍が母国に持ち帰り、王室に献上し、やがてヨーロッパ一帯に広がったようです。
日本人のお茶が、中国から遣唐使が持ち帰り、最初は薬としてごく一部の特定階級の人だけの飲み物であったように、チョコレートも同じで、素晴らしい薬効を持つ薬として、そして愛の媚薬として、ごく一部の特定階級に広まった歴史が有ります。
それが、前述したように、デパートに勤務する賢い人が、2月14日に愛を形にして、チョコレートを贈る習慣を築いたわけです。
理屈や講釈はともかくとして、バレンタインデーに「愛を形にしたチョコレート」を贈る相手がいるか否かが、とても大切だと思うわけです。
特定の恋人にせよ、仲の良い友人にせよ、贈って喜んでくれる人がいるか否かで、心の豊かさは変わってくると思います。
日頃から、公私とも、良好な人間関係を築くことが大切ですね。
このコラムを沢山お読み頂き、出来る事を実行に移していただけたら嬉しいです。