マナーうんちく話499≪習慣は第二の天性なり≫
8月もいよいよ今日で終わりですね!
最近、四季の移ろいがやや鈍化したような気がしますが、如何でしょうか?
とりわけ、夏が異常に長くなってきた感がします。
ところで、このコラムでも何度も触れましたが、昔は一年の始まりが立春だったので、立春が物事の起点になります。
お馴染みの八十八夜も、立春から数えての数字です。
そして今日は、立春から数えて210日になります。
いわゆる「二百十日」です。
都会暮らしの人はあまりピーンときませんが、「二百十日の走り穂」といって、この頃は稲の穂が出始める頃で、農家にとっては最も注意を要する時なのです。
ちなみに、日本は南北に細長い国で、田植えもまちまちですから、稲の開花もまちまちです。従って稲刈りもしかりです。
早い所は6月下旬から稲刈りが始まり、遅いところでは10月中旬の所もあります。
いずれにせよ、この頃になると、無花果・梨・柿・栗などの果物と共に稲穂が実り、収穫を待つばかりになるので、特に台風には注意が必要です。
レーダーもコンピューターもない昔は、天気予報は不可能で、全て経験がものを言っていたわけですが、二百十日は台風に襲われる確率が非常に高く、とても怖い日なのです。
だから、「八十八夜」と同じように「雑節」として、わざわざ暦に記す日になりました。但し、八十八夜は美味しいお茶に有り付ける、縁起が良い日ですが、「二百十日」は、台風に見舞われる「厄日」になっていたわけです。
漁師にとっても、百姓にとっても、兎に角、恐ろしい日だったようですね。
但し、手をこまねいているだけでは事は解決しません。
そこで昔の人はどうしたかと言うと、災害に遭わないように、ひたすらお祈りしたわけですね。
災害に遭わず、「実りある秋を迎えられますように!」と祈った行事が、全国津々浦々で見られる「風祭り(かざまつり)」です。
さらに、立春から数えて「二百二十日(にひゃくはつか)」も、台風の直撃を受けやすい、「厄日」「荒れ日」として警戒する時だったようです。
そして二百二十日が過ぎると、「二百二十日の荒れじまい」といって、台風の心配は無くなるとされていました。
このように、二百十日は、昔の人にとっては、台風に見舞われるとても怖い日だったわけですが、今では予報が可能になり対策が講じられますので、不要な心配がなくなりました。
さらに、稲作技術が発達し、どこでも、何時でも、美味しいコメを食すことができます。
ところで、「厄日」とは、災難に遭う恐れが多い日とされ、物ごとを慎む日なのですが、科学の発展により次第に影が薄くなってきました。
しかし、悩みや不安が全て無くなったわけではありません。
「厄年」とか「仏滅」は、日常生活の中に、今でも存在しています。
いつ、何時、襲われるかもわからない、多種多様なストレスとか不安等に、キチンと対処して、それらに屈しない強い心を創ることも大切だと感じます。
そして、自然に対し、真摯に向かい合い、感謝の気持ちを持ち続けることが何よりだと思うわけです。
二百十日の今日は、美味しい米が食べられることに、幸せを感じ、感謝の気持ちで過ごしたいものです。