マナーうんちく話569≪泥より出でて、泥に染まらず≫
桜の花は散り始めましたが、「菜の花」が依然として強烈なインパクトで華やいでいます。
菜の花の別名は「菜花(なばな)」とか「菜種(なたね)」といいます。
菜の花は食用ですから花が咲く前に収穫して食しますが、昔は花が咲いても、ずーとそのままの状態にして種を付けさせ、「菜種油(なたねあぶら)」を採りました。
私は野菜を作っていますが、水菜・白菜・チンゲン菜・小松菜等の冬野菜が春になって黄色の花を付けたら、それらを総称として「菜の花」と呼んでいます。
このような野菜を、花をつける前に蕾を収穫し、おひたしや和え物として食しますが、これが実に美味です。生産者ならではの贅沢な食べ方だと思っています。
ところで「菜の花」といったら、日本の唱歌を代表する「ちょうちょう」を思い浮かべる人も多いと思います。そして、か弱い蝶々が、「菜の花」から「菜の花」へと飛び交う情景を頭に描かれるのではないでしょうか?
この「ちょうちょう」の唱歌は、明治14年に「小学唱歌集」に掲載され、以来多くの子供に愛され親しまれてきましたが、昭和22年に一部の歌詞が改められました。
しかし、いずれもこの唱歌には「菜の花」という言葉は存在しません。
「ちょうちょう ちょうちょう 菜の葉にとまれ 菜の葉に飽いたら 桜にとまれ
桜の花の 花から花へ とまれよ あそべよ あそべよ とまれ」です。
すなわち、この歌の中で蝶々は、「菜の花」ではなく「菜の葉」の間を飛び交っていたわけです。菜の花はアブラナ科に属しますが、モンシロチョウはアブラナ科の葉に卵を産むそうです。
日本の唱歌や童謡には、世界的に四季の美しい国ならではの、美しい自然の情景が豊かに表現され、さらに、それに美しいメロディーが加味されているので、大いに郷愁を誘うものがあります。
そんな素晴らしい唱歌や童謡が今になって、テンポの速い曲にすっかり押されてしまって、次第に影をひそめて行くのは寂しい限りですね。
唱歌や童謡が日本から姿を消せば、次世代にキチンと受け継いでいかなければいけない、「和の心」や「故郷の情景」まで失せることになりかねません。
昨年世界の舞台で大活躍された、日本を代表する童謡歌手の由紀さおりさんが、テレビで若いお母さん方に、「テンポがゆっくりの日本の歌を大切にしてほしい」と呼びかけておられたのを拝見しましたが、大いに共感を覚えました。
さて、菜種油が取れる菜の花は、日本人にとって大変貴重な存在でしたから、唱歌や童謡で歌われるのみならず俳句にも登場します。
「菜の花や 月は東に 日は西に」(与謝蕪村)
この俳句には色々な解釈が有るようですが、穏やかな春の日の夕方、菜の花が咲き乱れる畑で、月の光が東から、太陽の光が西から注いで、なんとも言えない光景を感動して詠んだのでしょうか?
200年以上前に詠まれたこの俳句の情景が今の日本で、いつ、どこで蘇らすことができるのか?全く解りませんが、前の唱歌にせよ、後の俳句にせよ、昔の人は、実に細かく自然を観察し、それでいてすばらしい感性を備えていたと感じます。
このような、いつまでも心に沁みる歌や俳句を作った人たちが、今の放射能で汚染された日本の風景を見たら何と思うでしょうか。
原発の安全神話しかりです。
マナーは人と同様、自然に対しても発揮しなければなりません。
自然に対して素敵なマナーを発揮するには、自然をしっかり理解することが大切です。理解するには細かく観察することが必要です。人と良好な人間関係を築くにも全く同じ理屈が当てはまります。そうすることにより感性も磨かれてきます。
つまり、人にも自然にも素敵なマナーを発揮するには、感性を磨く努力が大切だということです。
自然や情景を丁寧に観察して作られた唱歌や童謡の良さを再認識し、機会ある毎にそれらを聴いたり歌ったりして、次世代にきちんとした姿で伝えたいものです。
そのような意味においても、由紀さおりさんとお姉さまの安田祥子さんには益々ご活躍して頂きたいと思っています。