マナーうんちく話520≪電車内でお化粧するの、どう思う?≫
寒さが少し和らいだところで、立春に産声を上げた春が早速、梅の香りを届けてくれました。
厳しい寒さの中、百花に先がけて咲く梅の花は、ほのかな香りと共に、清楚な美しさを漂酔わせてくれます。これが日本人の感性にマッチし、「梅」は、「松」や「竹」と共に、お目出度いものの代名詞になったのでしょうね。
万葉集で、桜より梅を詠んだ歌が多い理由が、わかるような気がします。
そして、この梅の香りを届けてくれるのが、「東風(こち)」で、菅原道真の「東風吹かば 臭いおこせ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」の歌は、あまりにも有名です。
今時にぴったりで、受験生には大変なじみが深い歌ですね。
ところで、かなり古めいた話になりましたが、「針と糸」をお持ちでしょうか?
2月8日は「針供養」といって、裁縫で使用した針の中で、錆びた針、曲がった針、折れた針等に感謝するとともに、それらを供養する日です。
使用不能になった針を、豆腐や餅やコンニャクに刺し、以前は海や川に流していましたが、現在はお寺や神社で供養して頂くわけです。
針供養は、2月8日と12月8日が有り、裁縫では、前者を「事始め」、後者を「事納め」と呼び、両日か、いずれかの日に行います。
そういえば、2月2日の山陽新聞に、昭和44年2月8日の、中国短大家政科の針供養の様子が掲載されていました。それによると、「和裁教室の中央に飾られた祭壇の前で、神職が祝詞を奏上し、玉ぐしをささげた」と書かれていましたが、日常の道具にすぎない、針までも、キチンと祭壇を作り、神職が祝詞を奏上して供養するのだから、日本人は「モノ」に対してまで、敬意を表し、思いやりの心を抱くのですね。
和の礼儀・作法には、このような昔の日本人の思いが、あちらこちらに表現されています。
ちなみに日本人のマナーには、「人に対するマナー」「自然や目に見えないモノ(神様)に対するマナー」「モノに対するマナー」が存在します。それだけ日本人は、優しい心と、豊かな感性を兼ね備えているのではないでしょうか。
そして、「針と糸」とくれば、「母さんがよなべをして 手袋編んでくれた 木枯らし吹いちゃ 冷たかろうと せっせと編んでくれた 故郷の便りは届く 囲炉裏の臭いがした」。
今から半世紀頃前にはやった歌で、タイトルは「かあさんの歌」。これが思い出されます。
息子の事を思う母親が、アカギレのした手で、夜遅くまで、裸電球の下で、手袋を編んでいる様子を歌った歌です。
針と糸で、編んだり縫ったりすることは、新たにモノを作る意味と、復元する意味が有り、手袋を編んだり、破れた靴下を繕うことは、当時のごくありふれた日本の家庭における光景だったわけです。
確かに物質的にも不自由していた時代でしたが、反面モノを大事にする心意気が強かったということです。
携帯電話やパソコンを操作するに当たっては、大変器用に手先が動く現代人も、さすが針と糸には慣れていないと思いますが、家庭や職場で、親しい人や大切な人の、上着やコートのボタンが取れたり、生地が破れた際に、針と糸を取り出し、ボタンを付けてくれたり、破れたところを繕ってくれる人は、大変心の優しい人ではないでしょうか?
先の「かあさんの歌」の中で、かあさんが編んでくれた手袋は、決してブランド品でもなく、お洒落な手袋ではないかもしれませんが、そこには、お金で買うことが出来ない、とても温かい思いやりの心が、一杯詰まっています。
この思いやりの心を、「与える側」も、「受ける側」も、大変幸せな人です。
針と糸は、単にボタンを付けたり、縫ったりするだけでなく、人と人、そして心と心までをも縫い合わせてくれる、大変ありがたい存在なのです。
以前、このコラム欄で、「懐紙」を是非持ち歩いて下さいとお願いしましたが、それと合わせて「針と糸」も、大切な小物をしてお使いになられたら如何でしょうか?
いま日本人が一生懸命模索している、「絆」が創れますよ!