まなーうんちく話798《月々に 月見る月は 多けれど・・・。》
1月11日に、神様にお供えしていた「鏡餅」を下げて、それをたたいて、割って、ぜんざい・しるこ・雑煮などにして食べる行事の事を「鏡開き」と呼びます。
今でも、家庭や各事業所等で、新年を迎えるに当たり鏡餅をお供えし、それを1月11になったら下げて食べる正月行事として受け継がれております。
これを食べると、その年は「無病息災で過ごせ、開運にも恵まれる」という言い伝えが有ります。「マナーうんちく話183」でお話しした、「七草がゆ」と同じような意味だと解釈して頂ければよいと思います。
ただし、このお餅を食べるには、それなりの作法が有りますのでご注意を・・・。
元々鏡開きは、武家社会に伝わる無病息災・延命・開運祈願の儀式です。
その武家社会の風習では、刃物で「切る」「欠く」「割る」といった言葉は大変縁起が悪いと嫌ったために、包丁ではなく、木槌のような物で細かく砕いて下さい。
ちなみに、「鏡開き」と表現するのは、「鏡」は円満を、「開く」は「運を開く」とか、「未来を開く」という意味に通じています。
当時の人達にとってお餅は、旨い・豊富なエネルギー源・腹もちがよい・保存性が高い等の利点から、大変貴重品であり、お目出度いものでしたので、だから、「切る」という表現を恐れ嫌うと共に、それに様々な願いを込めたわけです。
またお正月に、重々しくお供えされていた鏡餅を下げることは、「もう正月は終わりましたよ」「今年も仕事に精を出しましょうよ」等という意味もあり、その餅を食べて、武家階級では主従の誓いを新たにし、商人は蔵を開き、農家では畑で鍬打ちをして仕事の新たなスタートを切ります。
さらに、「食べ物を大切にする」という心がけの表れでもあります。
加えて、鏡餅は固いのでそれを食すことで歯を丈夫にするという願いも込められています。
ところで、結婚式や祝いごとの宴席において、「樽酒」を用いての鏡開きを経験されて方も多いのではないかと思います。私もホテルで、結婚式や宴会の仕事を通じ、数えきれない位の「鏡開き」のシーンに立ち会いました。
酒樽がなぜ鏡開きかと言えば、元々酒樽の上蓋のことを「鏡」と呼んでいたからです。
「瑞穂の国」日本では、色々な神事がある毎に、日本酒をお神酒として御供えし、そして、その神事が終われば、神事に参列していた人たちが、御供えしたお酒を下げ、それを酌み交わし、祈り事が天に通じることを願うわけですね。
家庭や事業所などで御供えしていたお餅を下げ細かく砕いて食べる「鏡開き」も、神事の際に樽酒のふたを威勢よく開く「鏡開き」も、新たなスタートをする時に、無病息災や開運に恵まれ、それが達成されることを祈願するものだと言えます。
以上のように、普遍的な意味を多く含んだ大変お目出度い鏡開きは、古くからの因習として簡単に見逃してしまうには、あまりにも勿体ないことです。
11には「鏡開き」に是非挑戦して、自分自身や大切な人の無病息災、開運を祈願し、絆を深めてみられては如何でしょうか?