マナーうんちく話502≪会話の中に季節の話題を積極的に!≫
相変わらず暑い日が続いています。
気象庁は、翌日が最高気温35℃以上の猛暑日になると予想される場合は「高温注意情報」を出すようになりましたね。
では、それとは別に、今日の暑さを、漢字で明確に表現する自信が有りますか?
猛暑、酷暑、極暑、炎暑、辱暑、大暑、激暑、厳暑、甚暑・・・
すべて「厳しい暑さ」を表現する言葉です。
これらの使い方が何を基準にしているのか、理解に苦しむところです。
でも、その一つ一つにはそれなりの意味が有るはずだと思います。
辞書が離せません。
一方寒さを表現する言葉としては、厳寒、大寒、極寒、酷寒、などがありますが、暑さの表現ほど多くありません。それだけ昔も、暑さの方が厳しかったのだと思います。
いずれも国語の専門家や気象予報士の範疇だと思いますが、これらの言葉が出来た頃には温度計や湿度計などはなかったわけですから、少なくとも気象用語ではなさそうです。
今は殆どの事がデジタル表示されますが、昔の人は経験と感覚が全てだったのでしょうね。
そして、暑さの程度や内容により、対処の仕方を心得ていたのではないでしょうか?
今は、厳しい暑さを「異常な暑さ」と表現し、それは地球温暖化のせいだといっているようですが、これだけ厳しい暑さを表現する言葉が昔から存在するということは、日本の夏は昔から本当に厳しかったということで、決して異常ではないと思います。
冷蔵庫も扇風機もエアコンも無かった時代も、今と同じように、夏はとにかく暑かったということです。しかし、それに逆らうことなく、それと調和して、風鈴などのように、それを快適に過ごす生活の知恵が存在していたのではと思います。
そして、少々の暑さ・寒さにも精神的に耐える力を蓄えていたのではないでしょうか。
詳しいことはよく解りませんが、昔は感染症や飢餓が原因で多くの人が命を落としていましたが、暑さのせいで亡くなったということはあまりききません。
私が学んだ小学・中学・高校は一クラス50人以上いました。木造の教室で、真夏でも扇風機もクーラーもありません。大学に入り初めて、完成したての最新の設備を備えた鉄筋コンクリートの教室に恵まれましたが、そこにもエアコンは有りませんでした。
厳しい暑さは今と変わりません。
でも、当時はそれが当たり前で、全ての学生は礼儀正しかったです。教師は半袖の人もいましたが、殆どの人はネクタイ着用でした。公務員も議員もそうでしたね。
蝶ネクタイの先生も結構見かけました。
皆さん、暑いにもかかわらずそれなりに凛とされ、とても頼もしい存在でした。
クーラーも扇風機もない暑い教室で、教師は上着とネクタイ着用で熱弁を奮い、生徒や学生達は、姿勢を正し、礼節を守り、真摯に聞き入っていた時代が有ったということです。
その頃は、今みたいな陰湿ないじめは教室にはなかったです。
生徒・学生と教師との間には素晴らしい信頼関係が有ったように思います。
そして幾ら暑くても、今みたいに熱中症で救急車のお世話になる人も少なかったですし、水分補給のこともあまり言われていませんでした。また高齢者が一人わびしく亡くなっていくケースも殆どありませんでした。
その頃に比較すると今は余りにも恵まれ過ぎています。
でも、矛盾が多すぎます。
恵まれ過ぎているゆえに、「感謝の心」や「我慢」が欠如してくることもあります。
今年は東北地方を襲った地震・津波・原発事故のせいで、悪い意味で「特別の年」になりました。しかし夏の厳しさは容赦なしです。
クールビズも良いですが、こんな時こそ、東北地方(岩手県)出身の、宮沢賢治の「雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち 欲はなく 決して怒らず・・・」の詩をかみしめてみるのも良いと思います。
マナーの本質に触れることができるはずです。