日本の大学の来し方行く末
こんなサイトを見てしまいました。
筆者の方も衝撃を受けているようですが、私も総理大臣がこんなことを
言っていたとは知りませんでした。
大学や大学院は、学術を探究する場です。
どんな分野でも、どんな技術でもそれを探求するのは自由のはずですが、
最低限のルールがあります。それは
「それが何の役にたつ?」
という誰に向けてかわからない問いかけです。
「それをどうやって役にたてる?」
という問いかけを自分にすることが正解であって、他人に向けて、
「何の役にたつのですか?」と問いかけていては、その人は
何をやってもうまくいきません。
例えば、野球部に入ったならば、野球の技術や体力、あるいは日本の場合なら
精神力なども探求するかもしれません。それはそれぞれの場の考え方があるので、
どれが正しいかは逐一言えるものではありません。
しかし、その場の中で、野球を練習している人間が、監督やコーチに
「これが何の役にたつのか?」
と問いかけても、指導者側は何とも言えません。この時期に受けた、
様々な訓練やそれに耐えた経験が、後の人生に彩りを与えてくれるのは
間違いないはずなのですが、それはかなり年月が経ってからわかることです。
また、その感じ方は個人の問題であって、それが苦痛の経験かもしれませんが、
その経験であっても、それを活かすか否かは、やはり個人の問題です。
学術もまた一つの技術です。学問的技術を学ぶことは、人生を生きていくに
当たって、極めて有益なものです。しかし、大学で学んだことが
その後の人生において勝手に生きるということは、「ないことはない」
でしょうが、それについては誰も保証する必要はありませんし、
誰も保証できませんし、大学以外のどんな世界であってもそれは同じです。
例えば、仏像を作る仏師の修行をして、その技術を身につけたとしても
それをどう活かすかを考えるのは自分次第です。
どうも高校までの教育が、「大学」の姿を歪ませてしまっているのでは
ないかと思います。
大学の側も、学術という技術を学ぶ意味について、もっと主張する必要は
あるとは思うのですが、総理大臣からして、こんなことを言ってしまうので
あるならば、高校までの現場の勘違いも甚だしいものと推測されます。
私たち予備校業界も決して無罪ではありません(むしろ最も罪が重いかも)。
今こそ学術の方法に基づいた教養の獲得が求められていると思います。
そのために若い人たちの大学教育をよく考えないといけない時なのです。
大学が変われば、高校以下の教育も変わるはずです。
良い循環になることを期待したいところです。
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