自閉症の心理学 ~誰も理解者の居ない、孤独という苦しみ~
自閉スペクトラム症の人はこだわりが強いと言われています。
こだわりというと
アイテムコレクション(収集癖)や推し活に興じたり
何か物事にハマるイメージがあるかもしれませんが
自閉症のこだわりはそういった何かにハマるこだわりとは違います。
自閉症のこだわりは
そうせずにはいられない、そうならなければパニックや癇癪を起こしてしまうといったように
自分自身を制御できずに、コントロールを失ってしまう状態に陥ることであり
しかもそのこだわりは自分の意思で遂行したくて、やりたくてやってるのではないということ。
例えば突然何回もジャンプしたり
一度やった行動を何度も同じように繰り返したり(反すうする)
通常では一体何をやってるのか理解できず
傍から見たら不審でしかないこれらの行動も
体が勝手にそのような行動を取ってしまうわけですね。
ジャンプに関してはそうしてることで気持ちが落ち着き
快感だから何度もジャンプを繰り返すわけですが
ジャンプをし始めるキッカケは外からの刺激(ストレス)で
自分の意思とは無関係に体が勝手にそういう行動を取ろうとし
それを自分の意思で抑え込むことは出来ず
無理やり抑え込もうとするとパニックや癇癪を起こしてしまいます。
反芻(はんすう)行動に関しても同じです。
それを抑えようという意思はあっても
なかなか自分では抑えられませんし
自分自身はもちろん、外部から無理やり抑え込もうとすると
突然攻撃的になったりして自分をコントロール出来ないのです。
ジャンプのような快感を伴う行動は別ですが
したくない行動でもそれをせずにはいられないので
自閉症のこだわりとは、「強迫性障害」によるこだわりだと考えればわかりやすいでしょう。
強迫観念に支配されてしていることであり
自分がこうしたいからしている(自分の意思でやっている)といったこだわりや
何かにハマっているようなこだわりではありません。
(そこに自分の意図はない)
他の自閉症の特徴としては
自分の興味のあることしか関心がないので
周りと話題性が合わず、コミュニケーションが苦手といった特徴がありますが
実は本人にコミュニケーションが特別苦手といった意識はありません。
本人は至って普通に接しているつもりでも
何故か周りとの関係性が噛み合わず、あれ?何かおかしかったかなと
そこで始めて関わりの難しさ(コミュニケーションの苦手さ)を感じるのです。
自分では自覚していませんが
周りと協調性に欠ける部分があるわけですね。
(独特の道(生き方)を歩んでいるが、本人に自覚はなく、至って普通に接しているつもり)
ただその道に関する知識やスキルは
そんじょそこらの専門家より優れているので(突出して秀でている)
マニアックだったりオタクのように捉えられることもありますが
しかしだからこそ発達障害は「個性」だと言われるのです。
(健常も障害もない、あくまで個性)
つまり得手不得手がはっきりしているということ。
こういった特性をお持ちの方が社会に適応するのは難しいですが
こういった人たちに対する社会の“無理解”が
自閉症の人を生きづらくさせているのは間違いないと言えるでしょう。
しかしそんな生きづらい社会の中であっても
発達障害の人が少しでも社会に適応していくためには
トレーニングによってソーシャルスキルを身に付けていくことではないでしょうか。
そのうえで発達障害の本人が
自分はコミュニケーションが苦手なのだということを認識し
少しずつでも自覚していけるようにトレーニングを積み重ねていくことが
社会との向き合い方や関わり方において必要なのかもしれません。
ではどのようにすればソーシャルスキルを身に付けていけるのでしょうか?
ソーシャルスキルを磨ける講座に参加し、講師に教わるのも良いですし
独学で磨いていく方法もあるでしょうし
対応している心理カウンセリングルームで学ぶこともできます。
(当ルームでも対応しています)
それに対して社会は厳しく
なかなか発達障害を異なるものとして受け入れようとはしませんが
難しいからと言って諦めようとせず
社会としても発達障害の特性を理解し、そして学び
発達障害も健常も本質的に違いはないのだということを理解していく努力が求められます。
人は自ら学ばなければ、理解しようと努めなければ
待ってたら誰かが教えてくれたり自然に理解できるようになるわけではありません。
それは自閉症であっても健常であっても同じことです。
各々が意識すること、まずは自分を知り、自覚することが
やがて大きな相互理解につながっていくのかもしれません。



