あなたに心の居場所はありますか? ~悲劇を未然に防ぐために出来る事~
人はどうして怖いのか?
なぜ怖くなるのかおわかりでしょうか?
対人恐怖といった自分の中にある怖さではなく
相手の中にある怖さ。
これが正解といった答えのある問いではありませんので
皆さんそれぞれのお考えをお聞きしたいのですが
私が感じる人の持つ怖さというのは
「責任(感)」ではないかと考えるんですね。
人は責任があるからこそ(生じるからこそ)
その責任の強さや重さによって、だんだん怖くなっていくのではないでしょうか?
これを私は自分が相手に対して感じる「恐怖感」になぞらえて
相手の人格が怖くなっていく状態変化を言い表し
「恐怖化」と呼ぶことにいたします。
ではどうしてこの恐怖化が起こるのかを考えてみますと
先程私の考えとして、責任がその要因であると言いましたが
もし人に何の責任もなければどうでしょうか?
わかりやすい例で言いますと幼い子供や赤子を考えるとわかるでしょうか。
幼子は大人(成人)と違って(比較して)責任はないですから
幼子に対してまず恐怖を感じることはありません。
幼い子供と言っても同世代や同年代から見ますと
やはり相手に対して恐怖を感じることはあるでしょう。
大人が子供を怖いと感じないのは
子供には仕事(職務)などで生じる社会的責任がないためであり
もしこれが子供にも刑事罰が課されるなど何らかの責任が生じる場合
子供の人格は自然に強固なものになっていくのではないでしょうか?
そうして大人になっていった結末が私たち大人なのではないでしょうか?
もし大人でも何の責任もなかった場合
何をしてもしなくても誰に何の責任を問われることもありませんから
わざわざ厳格で怖い印象の人間でいる必要がありませんし
そのような人物から怖さを感じることはないでしょう。
現に無責任男と言われるような人を考えてみますと
責任のある者からするとその素振りに腹が立つかもしれませんが
相手から恐怖を感じることもないでしょう。(怖いと感じない)
逆に無責任男の方が責任のある相手に対して怖さを感じるかもしれませんね。
つまり人は責任があるからこそ
人に恐怖を与えるなどだんだんその存在が怖くなっていくのだと言えます。(恐怖化)
考え方を変えると
自分の中にある責任の度合いが強すぎると人に恐怖感を与える事になり
責任の重さを軽くすることによって人に与える恐怖の度合いも減らすことができるでしょう。
責任は自然に生じるものですので
自分でコントロールできるものではないですが
(例えば子供を持つ親になれば否応なく(自分の意思とは関係なく)責任が生じる)
自分自身で感じている(背負っている)責任の重さを軽減してみることで
人に与える恐怖感も軽減できるかもしれません。
(責任の範囲を小さくしてみるなど)
もちろん責任だけが人に怖い印象を与えるものではなく
責任のある人でも接しやすい人もいますから
責任とは厳しさだったり威厳と言い換えることもできると思います。
(厳しさも人を怖くする別の要因)
そしてこれは私の持論ですが
人の体格も温厚かどうかに関わる要素ではないでしょうか?
恰幅(かっぷく)のいい人は基本温厚な印象で
細身な人ほど厳しかったり責任感のある人が多いように感じますが
これは体型によって性格や印象が違ってくるというよりも
温厚な性質の人だから恰幅のいい体格になりやすく
責任感や厳しい性質を持つ人だから細身の体型になりやすいのではないかと私は考えます。
(これは性質上備わったものなので、自分で意図的に性格を厳しくしたところで
体型そのものが変わるものではない)
自分が他人に与えている印象は自分ではなかなか感じられませんので
もし責任の重い役職に就いていたり
常に責任が付きまとっている(責任が重く負担だ)なと感じてるような場合には
自分にそんな意図はなくても周りに怖い印象を与えているのだと認識し
どうせなら物腰柔らかな人物像でありたいものですね。
せめて責任の生じないような場面では肩の力を抜いて(片意地張らず)
リラックスして平穏な心を保っていたいものです。
(何より自分のために)