「賽の河原」の物語が本当に伝えているメッセージとは

宮本章太郎

宮本章太郎

テーマ:なるほどおもしろ心理学

皆様は「賽の河原」のお話はご存知でしょうか?

そんな話は知らないという方は
このコラムをご覧になる前にぜひ知識を得てから続きを御覧ください。

賽の河原というと一般的には死んだ幼子が三途の川の河原にて
父母供養のために石を積み上げて供養塔を作るといったお話ですが
せっかく積み上げても鬼が壊してしまい、また一から積み上げるというお話として認識されていると思います。

ですがこのお話、本当の意味では子どもは石を積み上げているわけではないんですね。

このお話の意味するところは
本当は子どもが積み上げているものは石ではなく、“罪”なんです。
(あくまで個人的見解であり、皆様には生き方の参考にしていただきたいだけであって
私の説が正しいといったことを言ってるのではありません)

罪といっても人間の世界で言われるような法律違反や犯罪行為のことではなく
宗教では苦しみそのものの事を「罪」と言っています。

ですので人間世界での行いである罪と勘違い(誤解)しないようにお願いしたいのですが
このお話を人間世界の目線で見ると
せっかく子どもが積み上げた石を鬼が壊してしまうだなんて
なんて酷い話だ、可愛そうだと思ってしまうかもしれませんが
このお話の伝えているところは人間の情に訴えかける話ではありません。

先程私は子どもは罪を積み上げている(積み重ねている)とお話しましたが
その罪とは苦しみそのもののことであり
人間世界で言うところの罪ではないということはしっかり認識しておいてください。

一般的に子どもという存在は純粋無垢(純真無垢)であり
可愛い存在、か弱い存在であって
子どもに罪はないとよく言われますよね。

しかし果たして本当に子どもには何の罪もないのでしょうか?

これは子どもに罪があるとすれば、その罪とは何のか?を考えてみるとわかりやすいのですが
例えば意図的であっても無意識であったとしても自分の意思とは無関係に
子どもは産まれる際には母親を苦しめながら産まれてきます。(産みの苦しみ)

先程私は罪とは人間世界で言うところの罪ではなく、苦しみそのもののことであるとお話しましたが
では賽の河原で子どもが積み上げている石は何なのかと言いますと
自分の罪(苦しみ)のことであり、自分の(してきた)罪を償っているのです。

つまり賽の河原で幼子が積み上げている石とは自分の罪のことだったんですね。
(何度も言いますが、自分の意思によるものではない)

そしてその罪を鬼が壊し、また一から罪を重ねて(罪作り)を繰り返すという
人間世界での苦しみの繰り返しのことを教えてくれていたわけです。

とはいえ罪は幼子だけにあるものではありませんが
ではどうして幼子なのかと言いますと
これは実は幼子の習性や特徴が関係しているからという私の持論があるのですが
この話を始めるとまた長くなって終わりませんので、今回はここまでにしておきます。
(ヒントは繰り返しの意味に込められたメッセージ)

このような宗教の伝えるている話や罪と聞いて
そのまま人間の価値観で聞いてしまうと真相はわかりません。(真意は伝わらない)
決して人間の常識や価値観で理解しようとしないことでしょうか。

実は鬼という存在についても話の所以がありますし
まだまだ仏教などの隠された裏にある本当の意味についてのお話はたくさんありますので
もし機会がありましたら直接か動画などを通してお話したいと思いますが
こういったお話にご興味やご要望がありましたらぜひメッセージをお待ちしております。
(ただし異論があるからといって嫌がらせなどの迷惑行為はおやめください)

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宮本章太郎
専門家

宮本章太郎(心理カウンセラー)

京都カウンセリングラウンジ

心の健康のみならず、メンタルに関連して起こる様々な身体への影響や健康に関する知識が豊富ですので、うつ対策や不眠症の改善といった、総合的な健康法についても心理学の観点からアドバイスと情報提供が可能です。

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