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自分とは何者なのか?記憶の不確実性 ~記憶を紐解けば紐解くほど自分の記憶に自信がなくなる~

例えば自分の若い頃、幼い頃の記憶を思い出してみてください。

その記憶は自分の記憶ではあるけれども
複数の他者も同時に共有する記憶でもありますから
自分という人間の記憶であって自分の記憶ではないのです。
(自分の記憶だけど自分だけが所有する記憶ではない)

では自分が憶えているものだと思っている記憶とは、一体誰の記憶なのでしょうか?
自分の記憶って、本当に自分の記憶なのでしょうか?
これは自分の記憶だと、果たして本当にそう言い切れるのでしょうか?

では他人が憶えている、あなたという人間の記憶とは何?
あなたは何者?自分とは何者?
自分の記憶を共有している、他人とは誰?

このように考えていくと、一体自分とは何者なのか
段々自分という人間がよくわからなくなってきます。

自分を自分たらしめるもの。
それがいわゆる“自我(アイデンティティー・自己同一性)”と言われるものですが
今お話したように、記憶の謎を追究していくと
自分とは本来自分で思ってるような自分ではないのかもしれません。

つまり自分だと思ってるものはあくまで“自我”の部分であって(自分=自我)
本来の自分とは自我とは全く違う、別のものなのかも知れないという事です。(本質的な自分≠自我)

<自我=自分は自分であるという意識、または思い込みのみが存在している状態?>

自我は自分ではないとすれば、自分を形成してるものは複数の構成要素から成る単なる個体に過ぎず
そこに自分の意思なんて存在しないとも言えますし
自我がなければ自分は自分ですらなく、自分が自分だと思ってるものは一体何者なのかもわからなくなります。

だったら自分(自我ではなく自分というもの)を構成する要素こそ
自分を形成する最も重要な要素であって
自我(自分の意思。つまりワガママのようなもの)より尊ばなければならないのではないでしょうか?

それがあなたという人生を幸せにも不幸にもするのならなおさら
自分のワガママよりも優先するべき最優先事項だと私は思いますね。

これがいつも私の言う、「自分は生きてるのではなく生かされてるのだ」という事です。

自分は他人によって苦しむ(苦しみを与えられる)のではなく
自我(つまり自分という人間。あるいは個体)によって苦しむのだと言えるでしょう。

苦しみの根源は常に自分にあるという事。

この事を忘れずに、常に他者(人間に限らず、自分の知る由もない存在)に感謝して生きれば
きっとこれまでの人生とはまるで人生観がガラッと変わって来るのかもしれませんね。

そしてもしかしたら嫌な記憶(例えばPTSD、トラウマ体験など)ですら書き換えられるのかもしれません。

“だけども人は完全に自我を捨て去る事は出来ない”
これだけは忘れずに。

この記事を書いたプロ

宮本章太郎

心理カウンセリングのプロ

宮本章太郎(京都カウンセリングラウンジ)

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