茨城、鬼怒川で起きた大水害に学ぶ ~畏れを知らぬ者は自らの力に溺れる~
昨今は人工知能人工知能と耳にタコが出来るかと思うくらい騒がしいですが
仕事でも何でも、人間が今してるような事は全てコンピューター(人工知能=AI)でまかなえると言われています。
その先駆けと言いますか、既に人工知能化が進んでるのが車の自動運転技術の分野ですね。
わざわざ人間がハンドル操作をしなくても全てコンピューターが自動で運転をしてくれますし
人間はただ乗ってるだけで操作に関しては存在価値すらないと言えるでしょう。
そこまで技術進歩が進んでおり、この技術進歩という名の人工知能化によって将来人類は存在意義を失い
人工知能に支配される時代がやって来るのではとさえ言われています。
まるで人工知能に奴隷のように扱われ、かつて自分たちが利用していたものから逆に利用される側に転落してしまうかもしれません。
自分の意思で動いてるようでも人工知能の指示に従い、人工知能の思い通りに動く人間産業ロボット化の到来でしょうか。
ではそんな時代を迎えるにあたり、人が人として役目を果たさなくなってしまったら
私たち人類には一体何が残るのでしょうか?
滅びの道しか残されてないのでしょうか?
今ですら何のために生きてるのかわからない世の中なのに、役目を終えた人類はもはや必要ない?
そもそも人類が他の生命にとって役に立ったような時代があったでしょうか?
散々自分たちの利益しか考えて来なかった結果
これからは人工知能の役に立つ時代になるだなんて、何とも皮肉な運命ですよね。
しかしこの人工知能化も見方を変えれば、人間が今してるような事はする必要がないんですから
面倒はコンピューターに任せといて人生を大いに謳歌してみるのも良いかもしれません。
ただ気を付けなければならないのは、その存在価値を失ってはいけないという事。
人工知能の暴走はもちろん、人間が人間としての存在価値を失っては
それこそ人工知能によって滅ぼされてもあるがままの運命を受け入れるしかありませんし(必要ないものの定め)
自分たちが自分たちの自爆装置を起動させただけの事だという事を今からしっかり認識して
そうならないために私たち人間にしか出来ない事を努力していく必要があるでしょう。
人間とは何か?人間としての存在価値とは何なのか?
自分が何なのかもわからないのに人工知能人工知能と騒ぎ立てる前に
いかに人間らしい生き方をしていくか、人間として存在する価値のある生き方をしていくのか?
改めて人間という存在について見つめ直してみる良い機会なのかもしれません。
人間が今してるような事は全て人工知能で出来るなら、今のところ人間が人間として存在する必要はありませんし
そうなると人工知能が人間を使える人間かどうか、それとも産業廃棄物であるかどうかを判断し
一人一人を選別するような時代がやって来るのかもしれません。
現在でも既にそんな状態ですが、そうして何でも人工知能に判断を委ねたりしていると
これから人類は増々自分で考えられない人が増えて来て、自分では何も考えられないような人間ばかりとなり
人工知能なしでは生きていけない、人工知能に頼らないと生きていけないような
まるで今のスマホ依存のような状態(社会)にならないように気を付ける必要があります。
でなければそうした依存状態である《産業廃棄物【人間】》が次々に廃棄処理される
人工知能が不要な人間とそうでない人間を次々選別するような時代がやって来るでしょう。
このようにして人間が人工知能社会の監視下に置かれないように
オールヒューマンを挙げて、今からこの人工知能問題とも向き合っていきたいものです。
私はそうならないために全力を持って
心を豊かにする心理学を通してそのための知恵を尽くしましょう。