人は自分の心理にはあらがえない。だったら心理学を上手く利用してやればいい
人間に心があるのはわかりますが、ペットなど身近な動物にも心があるのは何となくわかります。
では野生の動物にも心はあるのでしょうか?
これも同じ動物であるペットには心があるんだから何となくありそうなのはわかりますよね。
そしたら虫や昆虫の類には?
こうなると段々怪しくなって来ます。
だったら植物はどうでしょうか?
あると言われればありそうですけど、虫にはないのに植物にはあるとなるとどうも疑問です。
じゃあ機械だったらどうですか?
これはないと言い切れそうですが、機械といっても調理器具から印刷機
自動車や人工知能を持ったロボットなんかも皆機械ですし
どれに心があってどれに心がないかと言うならば、同じ機械なのにその差は何なのでしょうか?
差がないとなると機械にも等しく心はある?それともやはり機械には心はない?
形は生き物でも生命のかけらも感じないぬいぐるみや人形なら?
こうなって来るとそもそも心とは何ぞや?という疑問の根源にまで行き着きます。
しかし一つ言えるのは、ここで言う心とは愛着のようなものだったり自分の心から沸き立つもの
つまり対象そのものに心があるかないかではなく、自分が感じるものが心ではないでしょうか?
このように人によって受け止め方が違ったり定義が曖昧なものに決まった答えなんてありませんし
あえて定義する必要もなければ、もし必要とされるような状況があっても
答えなんてものは定義によってコロコロと変わってしまうものなんですね。
そして私たちはそんな定義に頼るばかりに、心を振り回されながら生きています。
(心に定義なんてないのにそれを良しとしないがんじがらめの人生)
ここまでで気づきませんか?
あらゆる答えは自分自身の中にあるのだと。
つまり自分がそう感じたらそれが答えであり
心があると思えばありますし、ないと思えばないというのが答え。
答えを求める対象が自分以外だと振り回されてコロコロと変わりますが
答えを自分の中に求めると全てが等しく答えとなるのです。
ですから定義なんてものに振り回されてブレる事もありません。
実は今回は心の有無や答えについての話をしようと思ってたわけではないので話を元に戻しますが
何となくありそうでなさそうでもある植物について心はあるかどうかの考察をしてみましょう。
植物は綺麗だったり美しいお花を咲かせますが
植物は何も人間のために綺麗に見せようと咲いてるのではなく
人間や他の生命と同じ様に種を残すためだったり生存競争を繰り広げてるわけです。
だから自分を他よりも美しく魅せる必要がある。(関心を持ってもらう、興味を引く)
そうして競い合いの中で種子を運んでもらったり生命活動の領域を広げてるんですね。
全ては自分のため。
決して人間や他の生命のためではないのですが
それがたまたま他の生命のためにもなるだけで、またそうしなければ生き残る事が出来ないからです。
ですから皆自分の事だけ考えてるようでもそれぞれ相互利用の中で生きてるのです。
ただそれをわざわざ意識してないだけ。
そう考えると皆他には負けまいと競争してるわけですから、それは競い合いの心があると言えますし
競い合いの心があるとはつまり、植物であっても生き物には心があるというわけですね。
(先程も申しましたが、結局それを感じるのは自分自身ですが)
心というと思考や感情など人間のような高度な知能の事だと思ってると人間にしかないですが
そもそも心なんて人間が勝手に定義した言葉でしかなく
心があるかないかも人それぞれ、それこそ人間の基準でしかありません。
つまり心は知能や感情の事ではない。
その生命に思考力といった意思があるかどうかではなく、それで心があるかないかの判定も出来なければ
これが心だと定義して決め付ける必要もないという事ですね。
自分が感じたらそれが答え。
別に正解でも間違いでもなく、答えは常に自分の中にあり
定義や他人によって左右されるものでもなければいつでも自分で作り変える事が出来るんだという事をお忘れなく。
ところで皆さん、私に心はあると思いますか?
私に限らず、人間だから皆に心はあるとは限りませんよ。
だってそれはあなたが感じるものですから。
京都カウンセリングラウンジ
宮本 章太郎
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