老後の孤独を遠ざける「感情の存在感」の育て方

小橋広市

小橋広市

テーマ:認知症介護者の憂鬱

私は日々、感情とのつき合い方を多くの方にお伝えしています。怒りや不安に振り回されず、自分らしく暮らすための土台づくりです。その仕事の根っこにある確信は、本やセミナーで得たものではありません。認知症だった母を見送る時間のなかで、教えられたものでした。今日は少し私的な話になりますが、現場でお伝えしている実践の原点として、書き残しておきたいと思います。
おふくろ

ぼんやりとテレビを眺める母が、口にした言葉

母は認知症でした。デイケアが休みの日は、テレビをぼんやり眺め、昼寝をして一日が終わる。ドラマのストーリーも覚えていられず、ただ画面を見ているだけ。そんなとき、母の口から決まって出るのは、この言葉でした。

「なんも面白うねぇ、死んだほうがええ」

もともとは人と話すのが大好きで、友だちの多い人でした。家にはいつも誰かが訪ねてきて、笑い声が絶えなかった。それが認知症になってから、友だちも近所の人も、潮が引くように離れていったのです。記憶という土台が崩れると、その上に積み上げてきた人間関係まで、少しずつ崩れていきます。あとに残ったのは、自分の存在を感じられない、深い孤独だったのでしょう。

正直に言えば、当時の私は母の人生を、どこかで「趣味もなく、仕事で残したものもなかった」と、業績や形ある物差しで測っていました。母のために何をしてあげられるのかと焦るばかりで、母がすでに遺していたものに、気づけずにいたのです。

母が遺していたものに、あとから気づいた

転機は、ある法事の席でした。久しぶりに集まった親戚が、口々に母との思い出を語るのです。「あんたのお母さんには、よう励まされた」「話を聞いてもらうと、なぜか元気が出た」。実績の話は、一つも出ませんでした。みんなが覚えていたのは、母といたときに自分がどんな気持ちになったか、それだけでした。

そこで、ようやく腑に落ちたのです。人と話すのが好きで、友だちに囲まれていた頃の母は、まぎれもなく豊かだった。母が遺していたのは、肩書きでも実績でもない、「感情の存在感」とでも呼ぶべきものだったのだと。

人は、あなたが何を言い、何を成し遂げたかよりも、あなたといて自分がどんな気持ちになったかを、ずっと長く覚えています。この気づきは、コーチとしての私の仕事を、根っこから捉え直させました。老いた先の自分は、生き方だけでなく「誰とつながってきたか」で決まる。そして、その種をまくのは老後ではなく、今日この瞬間の関わり方なのだと。

それ以来、私はコーチングでも「何ができるようになるか」だけでなく、「まわりの人とどんな空気をつくるか」を一緒に考えるようになりました。スキルを増やすことと同じくらい、相手にどんな気持ちを手渡しているかが、その人の人生の質を静かに左右していくと、考えているからです。

「感情の存在感」は、こうして日々に積み重ねる

やっかいなのは、感情の存在感は狙って作れないということです。「こう思われたい」と意図して残せるものではなく、日々の関わりのなかで、相手の心に勝手に沈殿していく。だからこそ、年に一度の大きな贈り物よりも、毎日の小さな選択を整えるほうが、ずっと効きます。私が現場でお伝えしているのは、次の三つです。

一つめは、相手の話を最後まで聴くこと。途中でさえぎらず、解決策やアドバイスを急がず、ただ受けとめる。人は正しい答えより、「ちゃんと聞いてもらえた」という実感を求めています。たとえば相手が「疲れた」とこぼしたとき、すぐに「ちゃんと寝てる?」と返すのではなく、まず「そうか、疲れてるんだね」と一度受けとめる。それだけで「この人は自分を大事にしてくれる」という感触が、相手のなかに残ります。

二つめは、こみ上げる苛立ちを、相手にそのままぶつけないこと。カッとした瞬間に一呼吸おいてやり過ごすだけで、関係に冷たい記憶を刻まずにすみます。ぶつけた一言は、こちらが忘れても、相手は驚くほど長く覚えているものです。

三つめは、別れぎわの一言と表情を、ほんの少し温めること。人は始まりより、最後の場面を強く記憶します。「またね」「気をつけて」――その一言に体温を乗せるだけで、相手の心に残るあなたのイメージは変わっていきます。せっかくいい時間を過ごしても、別れぎわが素っ気ないと、その冷たさだけが印象に残ってしまうことがあります。人は経験の「山場」と「終わり」で全体の印象を決めるとも言われます。終わりを温かくすることは、それだけ割に合う習慣なのです。

そして、毎日の問いを一つ入れ替えてみてください。「今日、何を成し遂げたか」だけでなく、「今日、誰かを少しでも温かい気持ちにできたか」。後者の問いを持って暮らす人のまわりには、自然と人が残っていきます。

続けた人に、何が起きるか

この三つは、どれも地味です。すぐに目に見える成果は出ません。けれど続けていくと、確かな変化が現れます。私の講座でも、「家族とぶつからなくなった」「職場で相談されることが増えた」と話してくださる方が少なくありません。人が離れにくくなり、困ったときに声をかけてくれる相手が増える。何より、自分の存在に意味を感じられるようになります。

老いの孤独は、必ずしも本人の努力不足ではありません。けれど、今日からの関わり方で、未来の孤独を少しずつ遠ざけることはできます。母が最後に教えてくれたのは、そのことでした。母自身は記憶を失っても、その人柄を覚えていた人たちが、最後まで母の話をしてくれた。感情の存在感は、本人がそれを忘れたあとも、まわりの人のなかで生き続けるのです。

私自身も変わりました。以前は用件だけ伝えて電話を切るような人間でしたが、今は別れぎわのひと言を意識するようになりました。たいした変化には見えないかもしれません。けれど、そうした小さな積み重ねこそが、いつか自分が老いたとき、そばにいてくれる人を残すのだと、母の人生が身をもって教えてくれたのです。

今日、一つだけ温度を足してみる

大きく変える必要はありません。今日の誰かとの別れぎわ、一言だけ、いつもより温かくしてみてください。その一回が、相手の心に沈む小さな一滴になります。そして、その一滴の積み重ねが、いつか「あの人といると安心できた」という、あなたの感情の存在感をつくっていきます。

あなたが関わった人の心に、温かい「あなた」を遺していく。その第一歩を、どうか今日から踏み出してみてください。

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小橋広市
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小橋広市(講師)

一般社団法人Self&Lifeコンディショニング協会

なりたい自分になる勉強会やセミナーの開催及び、居心地が良い環境の中で、生きやすくなるための講座や相互交流ができる「心ホッとコミュ」というコミュニティを開放しています。

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