聞いてないヨー!―散々無茶振りをされてきてわかった自分の性格―Ⅱ
今日の目次
・老人が怒りやすくなる原因は
・もう二度と来るもんか!
・大した話ではないんだけど・・
・これって、例の老人性短気爆発症状か?
・穏やかに生きたい、と思っちゃいるんですが
老人が怒りやすくなる原因は
以前、「気が短くなったのか?!」といったタイトルでこのコラムを書いたことがありました。それは、年を取ってくると、若い頃には見られなかったような現象がいろいろと身体上に出てきて、その中の一つに「気が短くなる」というのがある、という内容のものでした。
老人医療に詳しい和田秀樹先生がお書きになった本によれば、年を取ると脳の前頭葉という部分が委縮して感情のコントロールが効きにくくなるらしいのです。それが、老人が怒りやすい原因になっているとのことでした。
その本を読んだとき「俺はどうだろう?」と振り返ってみたのですが、特にそういう傾向は見られないんじゃないか、とまあ自分勝手に甘い採点をしたのです。そんなブログを書いてから、それほど経ってもいない先日のお話です。次のようなことがありました。
昼飯を食べようと、常連というほどではありませんが、以前から見知っている喫茶店に立ち寄りました。少し辺鄙な場所にあるせいか、日曜日の昼にもかかわらず店はガラガラでした。一組だけボックス席で談笑しています。
中に入ると、年配のご主人がカウンターの中にいました。私が、一人であることを告げると、カウンターに座るように促されました。
しかしこの日は、スマホを使ってちょっとややこしいやり取りをしなければならなかったので、ボックス席でもいいか?と尋ねたのです。すると、その年配のご主人は「今日は日曜で混みあうかもしれないから、カウンターにしてくれ。」と私の希望を聞き入れてくれませんでした。
そこには、申し訳ないけれどそうしてください、とか、すみませんが、といった雰囲気は微塵も感じられません。「俺が俺のこの店でそう言うんだからその通りにしろ。」といった気配に満ち満ちていました。
もう二度と来るもんか!
その瞬間、こっちも相当ムッとしたのですが、その言葉に従ってカウンターの椅子に座りました。そして、少し大袈裟なくらいの動作で背を後ろに向けて、広い店内を見渡します。心の中で『おい、あんたの店は日曜だかなんだか知らないけれど、どう見たってガラガラじゃないかよ。』という意思表示を示したつもりでしたが、爺さんマスターは意にも介さない様子でした。
仕方がないので、スマホでの用事をその席で済ませました。何を食べるかちょっと迷ったのですが、とにかく食ったらとっととこの店を出たいと思い、サンドイッチを頼んで、さっさと食い終わることにしました。
この間にも、なんだか腹の虫が収まりません。私がいる間、二組の客があったのですが、最初にいた客が途中で帰ったので、店は相変わらずガラガラでした。なおのこと、私の気分の悪さはなかなか収まらなかったのです。
もとからちょっとだけ知っている店だったので、『たまたま今日はこうやって立ち寄ったけれど、もう二度と来るもんか!』と、腹の中で自分に言い聞かせたのでした。
大した話ではないんだけど・・
あの爺さんマスターの態度に、いかにも昭和を感じました。まだ、商売が全盛だった頃、客よりも店の方が完全に立場が上、という時代があったのです。売ってやる、食わしてやる、サービスしてやるという態度で鼻もちならない頃があったことを思い出しました。まあ、こんなこと言っても、今の若い人はピンとこないでしょう。
私もいい年ですが、あの爺さんマスターは明らかに私より年上でした。『まあ、仕方がない。まだこんな人種も残っているってことか。』と、気分の悪いままに店をあとにしたのです。
ここはおそらく賛否両論、別れるところでしょう。「そんなこと気にしなきゃいいじゃない。」という意見もあれば「仕方がないんじゃない。それが店の方針だったら。」という意見もあると思います。
私も、「店はガラガラだったにもかかわらず、客の望む席に案内しなかったのは実にけしからん。サービス精神がなっていない!」と、声高に自己主張をし、共感を得たいわけではありません。はっきり言って、大した話でもないことはよくわかっています。
これって、例の老人性短気爆発症状か?
さて、本日の問題はここからなのです。
というのは、「どうにもこうにも腹の虫がおさまらない」・・この時間が長すぎる、と思ったのです。『大した話じゃないんだから、こんなこと、とっとと頭の中から追い出せばいいじゃないか。』と、自分に言い聞かせるのですが、なかなか怒りの気持ちが収まらない自身にちょっと愕然としたのです。
『ひょっとしてこれって、例の老人性短気爆発症状??』というのが、気になってきたというわけです。こういうときって、さっきのいきさつを頭の中で何回も反芻している自分がいます。
考えれば考えるほどムカついてしょうがない、ということはわかっているのに、ふと気がつくとまた思い出しているのです。『ああいかん、いかん。』と自分に言い聞かせて、できるだけ早く忘れるようとするのですが、どうにもこうにも腹の虫が収まりません。
これって、ロジカルに自分を正当化するほどの話でもないのですから、「ああいう場合、相手はこうすべきである、ああすべきである。どう考えてもけしからん。」と理屈を立ててみたところで仕方がないことはわかっています。別に、このいきさつについて「どうかみなさんご理解の上、私の味方になってください。」って話でもないことも承知しています。
穏やかに生きたい、と思っちゃいるんですが
冒頭の和田先生の見立てでは、「前頭葉が委縮して感情のコントロールが効かなくなる症状ですな。」ということになるのでしょうか。しかし、そうして冷静に自分のことを分析していたら、ちょっと時間はかかりましたが、だんだん、心も静まってきました。
正直言って、こういうときの高ぶった精神の上手な収め方というのはまだよくわかりません。たぶん、何かしら心理学的方法論として、心の持って行き方、テクニックといったこともあるんじゃないかと思います。
そう言えば、この一件は「こりゃあ、書かなきゃいかんな。」と、すぐに思いました。そうして、今こうやって書いているわけです。書くことも、心を冷静な状態に戻す一つの方法かも知れないな、と思います。
できるだけ、ムカつくような場面には遭遇しないように、穏やかに穏やかに生きたいとは思っているのですが、時折、今回のような災難は降りかかってきます。そんなとき、大きく乱れた精神状態をうまく収める良い方法があるのならば、是非学習したいと思っているのです。
穏やかな性格なんですぜ



