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バブルはもはや「歴史」になったのか?!―あの時のあれは、いったい何だったんだろう?―(後編)

海江田博士

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テーマ:自分を振り返る

今日の目次
バブリーな企画オンパレード
1千億円を超えるリゾート計画
リゾートを本質的には理解していなかった大企業
大手シンクタンクに負けないノウハウ
ことごとく失敗したリゾート開発
チャレンジし甲斐があったあの時代


バブリーな企画オンパレード

日本がバブル経済に突入し、金余り現象の中で各企業がリゾート開発など慣れない事業に手を広げ始めた頃、ちょうど時を同じくしてマーケティングリサーチの会社を作った私たち。受注案件は次第にリゾート開発の事前調査に収斂されてきました。
一口にリゾート開発と言っても、実にいろいろなパターンがありました。ゴルフ場開発、スキー場開発、リゾートマンション建設、リゾートホテル建設、別荘地開発、温泉スパ施設開発、テーマパーク建設等々、いろんなパターンがあったのです。
そしてこれらは不動産としての売買以外に、それぞれに高額な会員権を設定するなどのビジネスモデルを採用し始めていました。それだけではなく、いくつかの施設を組み合わせて、さらに高額な会員権ビジネスを展開したりと、まさにバブリーな企画オンパレードだったのです。

1千億円を超えるリゾート計画

これらの計画には、いずれも前段としてのマーケティングリサーチが必須だったので、我々の仕事は途切れることはありませんでした。当時、私たちが受注したプロジェクトの最高投資金額は総合リゾート開発1000億円という計画だったのです。
現在の感覚ではそれほどの金額には思えないかも知れませんが、バブリーとはいえ、40年近く昔の話です。今、同様、同規模の開発に着手するとすれば、その倍、いや3倍の金額でも足りないのではないでしょうか。当然、使用権としてのリゾート会員権も高額なものになり、その価格は億を超えていました。
そんなリゾート会員権に需要があるのかどうか、事前にリサーチしてくれというのが、我々に対する依頼内容でした。ただ、調べているうちに「こんな高額な会員権サービス、リサーチしている当の俺達には永遠に縁がないだろうなあ。」と複雑な思いをしたものです。
主として、社員が利用する福利厚生施設の名目で、法人がそんな会員権を取得するかどうかを調べたのですが、さすがに、億を超える価格設定には多くの企業が二の足を踏みました。とはいえ何社かは「まあ、いいんじゃない。」との返事で、こっちが驚いたことを覚えています。

リゾートを本質的には理解していなかった大企業

初めのうちはいろんな案件に手を出していた私たちでしたが、やがて、得意分野が地域開発、中でも上記のようなリゾート開発にテーマが絞られてきました。それくらい、この頃はそっち関係の案件が多かったのです。
当時私たちは、現役の大学生たちと交流があったり、冬はスキーに行ったり、夏はスキューバダイビングをやったりと、真面目社員の多い上場企業からすれば、遊びや余暇利用のノウハウを多く体現している面白い会社でした。当時、リゾートリゾートと騒いでいた割には、リゾートの何たるかを本質的には理解していない企業がほとんどだったのです。
こういった案件の受注が順調ということは、それだけ忙しいという話になります。社員、7,8人の我々の会社は、いつもほぼオーバーワークで、ときには寝る間も惜しんで仕事に打ち込んでいました。今だったら、ブラック企業認定どころではないくらいの労働環境で働いていたのです。
しかしながら、それに対して文句を言う社員もいなかったのは、やはりやりがいのある面白い案件が多かったからではないでしょうか。少なくとも、私にはそうでした。

大手シンクタンクに負けないノウハウ

バブリーな案件をバブリーなやり方ではなくて、地道な作業でこなしていく・・・これが私たちにとってのバブル経済との向き合い方だった、ということになります。受注単価が会社の規模の割には比較的高かったのは、バブルの恩恵の一つだったかも知れませんが、そこにはそれほどこだわることもなく、ひたすら舞い込む案件をこなしていたのです。
マーケティングリサーチの手法は様々です。基本はアンケートですが、その他に各種ヒアリング、街頭インタビュー、企業インタビュー、専門家インタビュー、グループインタビュー等々、様々です。今だったらデジタル系のテクノロジーを使って、サクサクッとできるような市場調査も、当時はアナログ、特に足で稼ぐ手法が主でした。
その足で稼ぐタイプの情報収集に長けていたために、私たちの会社は大きな案件を手掛ける大企業や元受けのシンクタンクなどから重宝されたのです。この現場に体当たりして情報をもぎ取ってくる、という調査能力に関しては、大手シンクタンクに負けないくらいのノウハウを有していました。

ことごとく失敗したリゾート開発

ところで、これまで述べてきたような慣れないリゾート開発に象徴されるように、それまでの日本経済、中でも多くの日本企業は、余暇を自由に楽しむ、とか余裕をもってリゾート施設を利用する、とかいったライフスタイルにはあまり馴染んでいませんでした。そのため、金余りの経済状況の中で、よくわからないままチャレンジしたリゾート開発は、ほぼことごとく失敗したのです。
その失敗に通じる片刃を担いだのが俺たちだったんだよなあ、という点に関しては、今でも忸怩たる思いがあります。現在では、若い人たちを中心に、より洗練されて、あんな形で無理をしないでも、普通に余暇や自分の時間を楽しめているのではないでしょうか。
あのバブル経済の狂乱のさなかで、特におかしな現象だったのが「リゾート開発」という、いわば「あだ花」でした。そんな、それまでの日本人には似合わないタイプの案件を手掛けることができたのは、上記のような忸怩たる思いがある一方、極めて貴重な体験でもあったと思います。

チャレンジし甲斐があったあの時代

あの時代の真ん中で、極めてバブリーな案件に出会ったにもかかわらず、それをバブリーなやり方ではなくこなしていた私たち。こんないびつなビジネススタイルを経験した人はそんなにいないんじゃないでしょうか。
自逆的に「不夜城」とも称していた私たちの会社。72時間ぶっ通しで仕事をしてなんとか締め切りに間に合わせた、という体験もしました。
同じ事を今の若い人に要求する考えなど毛頭ありませんが、あのバブリーな時代、なかなか面白かったぞ、というのは伝えたい気もするのです。というのは、私個人にとって、あの体験が今の自分のビジネス観を形成していると言っても過言ではないからです。
チャレンジしたことが身になっていた時代、実にチャレンジし甲斐があった時代。それがあのバブル経済絶頂の頃だったとすると、懐かしさと同時にあの狂乱の中でまた自分の極限を試してみたいな、という何とも狂気じみたブラッキーな思いにふと囚われるのです。



こんなリゾートレストランをやりたかったのかも


おしまい

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海江田博士
専門家

海江田博士(税理士)

税理士法人アリエス

税務相談はもちろんのこと、従来の税理士としての職務に留まらず経営者自身で革新できることを目指した支援を続けています。日本経済をしっかりと支えられる強い基盤を持った中小企業への第一歩のお手伝いをします。

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