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バブルはもはや「歴史」になったのか?!―あの時のあれは、いったい何だったんだろう?―(前編)

海江田博士

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テーマ:自分を振り返る

今日の目次
「バブル」を知っていますか?
普通じゃあり得ない経験
狂乱と愉快極まりなかった時代の真実
誰も「バブル」なんて思っていなかった
マーケティングリサーチ、行けるかも!
よしっ、無謀な営業チャレンジ
魅力的に映った「リゾート開発事業」

「バブル」を知っていますか?

日本にかつて「バブル景気」というものがあった、ということをご存じですか。「バブル景気」というよりは「バブル崩壊」というワードの方が一般的かも知れませんね。その頃生まれていなかった若い人にとって、この「バブル」という単語、既に歴史上の言葉になったのでしょうか。
「バブル景気」は、ちょうど1980年代から始まって、1990年代初めに終焉しました。狂ったようなあの時代については、映画やドラマなどでもたびたび描かれていますが、バブルというのは、上記のおよそ10年近くに起こった経済現象(社会現象?)を指すと思います。
しかし、ここでふと考えてみました。あれをちょうど働き盛りの頃、もろに体現したという人が世の中にどれくらいいるだろうかと。働き盛りといえば、主として40代から50代を指す言葉で、20代、30代ではまだちょっとキャリア不足と言われると思います。

普通じゃあり得ない経験

ところでバブル景気というのは全国的な現象で、都会も田舎もなかったはずですが、首都圏におけるそれは、地方とはまた違った桁外れのスケールと数々のおかしな現象を伴っていたのです。そのバブル景気真っ盛りの頃、年齢的にはちょうど30代から40代にかけて、私は東京で友人と会社を起こし、目まぐるしく変化する経済状況の中で四苦八苦しながら事業を経営していました。
その私が既に70代。ということは、当時ちょうど働き盛りだった私より少し上の世代は、もう70代から80代といった年齢に差し掛かっているということになります。つまり、働き盛りといわれる世代に引っかかるかかからないかのギリギリの頃、たまたま私は、その狂乱の首都圏(東京)で、バブル景気に遭遇していたのです。
で、そのとき、私に何があったのか。結論から言えば、とても普通じゃあり得ないような経験をした、ということになります。そしてそれが、その後の私の人生に極めて大きな影響を与えたことは間違いありません。

狂乱と愉快極まりなかった時代の真実

いったい何を経験したのか・・これはあくまでも個人レベルの話ですが、ひとことで言えば尋常じゃないほど働きまくった、ということです。仕事が面白くて面白くてたまらない、という時代が私にはリアルにあったのです。
あんな経験、二度とできないだろうな。そこで私は「こりゃあ、あの頃のことを一度ちゃんと書いておかなくっちゃ。」と思った次第です。
あの頃、ビジネスの最前線でバブル景気を味わった世代も、年齢的にはこれからどんどん少数派になっていくでしょう。だとしたら、誰かがあの狂乱と愉快極まりなかった時代の真実を書き残しておかなければならない、と考えたのです。なぁんて、まあ、そんな大げさな話でもありませんが、私自身、かなり特殊な経験をしましたのでそれを書いてみようと思います。

誰も「バブル」なんて思っていなかった

考えてみれば「バブル」というのは、それが弾けたあとそう言うのであって、その真最中には、誰もそんなこと実感していなかったと思います。当時、私も友人と作った小さな会社を懸命に運営していましたが、「こりゃあ、濡れ手に粟でバブリーに儲かってしょうがないなあ。」などと思ったことはありませんでした。ただ、「打つ手打つ手が当たるなあ。営業をやっていて面白いなあ。」くらいは思っていたのです。
当時、最もバブリーな業種といえば、やはり不動産事業だったでしょう。先週購入したマンションが次の週には倍の価格になる、というくらいの勢いでバブルが進行していましたから。その他、ゴルフ会員権、株、様々な債権等、いずれも同じような感じだったのです。絵画なども投資の対象となっていて、普通のOLがそういった投資で大儲けした、などという話もチラホラ囁かれたりもしていました。

マーケティングリサーチ、行けるかも!

そんな中、私たちが設立した会社は、マーケティングリサーチを生業にしていましたので、右から左へと動かすだけで大儲けできそうな資産などもなく、ひたすら受注した仕事に向き合っているだけでした。つまり、バブルの恩恵といっても、濡れ手に粟といった感じではなく、割と地道に次々と舞い込む仕事をこなしていたのです。
見よう見まねで始めたマーケティングリサーチの仕事が、「これは行けるかも!」と、思ったのは、日本でも最大手のマーケティングリサーチ会社「Y経済研究所」とお付き合いしたときでした。詳しい経緯(いきさつ)は割愛しますが、とにかく「Y経済研究所」に依頼したマーケティングリポートの出来があまりにもひどいものだったので、「なんだ!これでマーケティングリサーチ業を張れるんだったら、俺たちだって行けるかも。」と思ったからでした。つまりきっかけは、かなり乱暴で歪んだ思い込みだったわけですが、とにかく反面教師として随分参考になったのです。

よしっ、無謀な営業チャレンジ

という経緯があって、次は無謀にも「よし、思い切って「N総研」に営業をかけてみよう。あそこだったら大きな案件を抱えているはずだから、何か発注してくれるかもしれないぞ。」と、なんの根拠もなく、まるで3段飛び見たいな発想をしてしまいました。というわけで、後先考えずに天下の「N総研」に突撃営業をかけたのです。
そうしたらなんと、断られて当然、の思いでかけた営業がなんとドンピシャと当たったではありませんか。ちょうどそのとき、「N総研」は、エンターテインメント関係の案件を抱えていましたが、そっち方面には彼らもそれほどのノウハウはなく、どうしたものかと困っていたのでした。
多少のハッタリをかましながらも受注を取り、かなり難しい案件だったにもかかわらず、何とかこなして納品にこぎつけました。すると、これがかなりの高評価で、なんと「N総研」がリピーターになり、その後常連客にまでなってくれたのでした。
いや、この書き方は少し生意気ですね。「N総研」が、トライアルの成果を見て、我々を取引業者の一つとして選んでくれた、というのが正しい表現かも知れません。

魅力的に映った「リゾート開発事業」

この「N総研」の仕事をこなした、というのは、その後の営業にものすごい効果をもたらしました。一種のお墨付きを得たようなものです。受注単価もどんどん上昇して、一本のレポートが、最高金額1500万円まで登りつめたのです。
これって今振り返れば、まさにバブルの賜物だったのかも知れません。しかし、身の丈以上の案件を抱えて、必死になりながらレポートを仕上げているときは、これがバブリーな現象なのか違うのか、そんなことを考える余裕もありませんでした。
ただ、日本経済は空前の好景気で、いずれの企業も儲かり過ぎて余った金をどう使ったものか、考えあぐねていたのです。そこで、動き出したのが何か新しい業種、事業に手を広げることでした。中でも、「リゾート開発事業」は、いずれの企業にも魅力的に映ったようで、多くの企業が全くノウハウのないこの分野に進出しようとしたのです。


これは現在のリゾート(モデルがお粗末で申し訳ありません)


つづく

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海江田博士
専門家

海江田博士(税理士)

税理士法人アリエス

税務相談はもちろんのこと、従来の税理士としての職務に留まらず経営者自身で革新できることを目指した支援を続けています。日本経済をしっかりと支えられる強い基盤を持った中小企業への第一歩のお手伝いをします。

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