「存在」と「無」ちょっと哲学的に考えた―社長が二足の草鞋(わらじ)を履かなければならない理由―
これまでとは異なる視点「即時性」
私はこれまで、「経営者による「情報発信(アウトプット)」の重要性」について、私の見解を様々な形で述べてきました。それは、この重要な課題に関してどんな風に考え、実際どんなことを実践すればいいのか、いったいその効果はどんなものなのか、といった点について、いろいろな角度から解説してきたということになります。
さて今回「情報発信(アウトプット)」について、これまでとは少し違う視点で考えてみたいと思います。ここで「違う視点?」とはいったい何を指すのでしょうか。
それは「情報発信(アウトプット)」の「即時性」ということについてです。「即時性」・・・漢字の意味が指すように、どれだけスピード感或いは瞬発力を持って「情報発信(アウトプット)」できるか、ということになりますが、この点について考えてみたいのです。
「即時性」が生み出す思わぬ副産物
これまで「情報発信(アウトプット)」の「即時性」ということについてはあまり触れてきませんでした。取りあえず、「即時性」(スピード)よりもその「情報発信(アウトプット)」の内容(コンテンツ)について深く追求し、吟味すべきだと考えたからです。
しかしながら、ときにこの「即時性」ということが思わぬ副産物を生み出すことがあることに気がつきました。結構重要なことなので、改めて考察してみたいと思います。
ところで、「情報発信(アウトプット)」における「即時性」の最たるものは何だと思いますか? 少し考えてみて下さい。
スマホによるリアルタイムの画像アップ?メールに対する即行のレスポンス?内容に感動した本の冷めないうちに書く感想?・・・・もちろんそれらも極めて「即時性」の高いものに違いはありません。
しかし、ここではもう少し、その意味について更に深めた上で考えてみたいのです。一見、それは少しひねった考え方に見えるかも知れません。
「即時性」が最も高いのは「質問」
私は、最も「即時性」の高い「情報発信(アウトプット)」、それは、「質問」だと思うのです。「質問」・・・? この答えにはいささか違和感を持つ方がいるかも知れません。
「「情報発信(アウトプット)」というのはこちら側から何かを提供するものでしょう?「質問」というのは、相手の発言や意思表明などがあって、初めて成立するものだから、情報の発信というのは、なんか違うんじゃないの?・・」という声が聞こえてきそうです。
なるほどその通りです。「質問」は、そもそもが主体的な情報発信ではありません。ボールを受けてから初めて発生するものなので、「情報発信(アウトプット)」という言葉にはなんだか馴染まないんじゃないか、と思われるはずです。
ただ、ここでもう少し深く考えてもらいたいのです。
「情報の高度な交換」としての質疑応答
「質問」が、単に言葉の意味がわからなかった、とか、解釈が追い付かなかったのでもう一回言ってもらえませんか、とかいう程度のものであれば、確かに情報の発信と言えるほどのものでなないかも知れません。
しかし、相手の発言をよく聞いた上で、「自分の考えと違うところがあるために、にわかには理解できないのだが・・・」とか、「その発言の裏にある発想や考え方をもう少し聞きたい。何故ならば・・・」といった質問であれば、また意味が違ったものになります。
つまりそれは、相手の発信した情報を受け止めた上で、こちら側の見解なり異なる情報をかぶせて、より議論を深めようというものだからです。ここではある程度、こちら側からの情報の発信がなければ質問そのものが成立しません。こういったやり取りは、まさに「情報の高度な交換」ということになるのではないでしょうか。
良い「質問」は議論の質を高める「触媒」
相手の情報を受けた上で適時発せられる質の高い「質問」は、それ自体が呼び水となって、より深い情報交換のステージへと我々を導いてくれるかも知れません。つまり、良い「質問」というのは一種の「触媒」となって議論の質を高める役目を果たしてくれるのです。
近年、「質問力」といった言葉が注目されていますし、このことに関する書籍なども出版されているようです。それは「質問」から派生する、こういった現象を期待してのことかも知れません。
「質問」自体は、まず主体的な発言や提言があって、それに対応する行為ということになるのでやや受動的な印象が拭えないところがあります。しかし、「情報発信(アウトプット)」といった要素が含まれていることを意識したならば、ある意味能動的で踏み込んだ知的行為と解釈することもできるのです。
質問しない日本人
私は仕事柄、他の専門家の主催する研修やセミナーにもよく出席します。その内容が高レベルで、講師の質が良かったときは、メモを取る手が止まらず、こちらからも突っ込んで聞いてみたいことがいくらでも湧いてきます。ですから、セミナー講演の後、質問タイムが儲けられているときは、必ず手を上げて質問をするように心掛けています。
ただ、客観的に見ていると、こういうとき、日本人はまず質問しません。聴衆の数が多くなればなおさらのことです。気後れするからでしょうか。
確かに大勢の中で手を上げて質問するのは、かなり勇気がいりますし、いささか恥ずかしい思いもします。しかし、せっかくのチャンスなのに質問しないのはもったいないことです。
とはいえ、そこは大勢の人間の貴重な時間を使っている場ですので、つまらない質問をしたらそれも迷惑です。私の場合、講演を聞いているときから様々な疑問が湧いてくるので、質問せずにはいられないのです。但し、それが自分本位のつまらないどうでもいいような質問にならないように気をつけています。
質問することのメリット
そのときの聞き方としては、自分の経験からくる見解などと合わせて、何故この質問をしたのか、相手にもよく理解できるよう言葉をまとめます。これは、考えてみれば、ある意味立派な「情報発信」ではないでしょうか。しかも、その場でタイムリーに行なう行為ですので、極めて「即時性」が高いと言えます。
いかがでしょう。「質問」というものが、自分にとって極めて「即時性」の高い「情報発信(アウトプット)」と捉えたならば、機会があればそれを積極的に行なうべきですし、そのチャンスを逃すのはもったいないことです。
先述のように、日本人にはあまり積極的に質問をする人が少ないので、質問をした人のことは、それを受けた側(講師など)が必ず印象的に覚えています。そうなれば、後で名刺交換などのとき、他の参加者とは異なる少し踏み込んだ会話なども可能になります。
知的好奇心を満たそうとする行為は、色々な意味で副産物を生み出します。「質問」を、一種の「情報発信(アウトプット)」と捉えて、これからの研修やセミナーなどに臨んでみて下さい。これまで以上に様々な成果が生まれるに違いありません。
質問してください。