都会と田舎、イメージによって語られる人間像―映画「ブルックリン」に見る格差と排他主義について―Ⅱ
[補助金の効果は地域全体には全く波及しない]
「補助金」に対しては、以前から疑問や矛盾を感じていた私ではありました(このコラムでも度々言及しています)が、木下氏もまた、同様の感想を持っておられたようで、その点を以下のように書いていおられます。
― 民間主体で利益と向き合わないと出口はない。
しかし、ここで矛盾がある。
普通に儲けが出るのであれば、税金をもらってまで、活性化事業なんてやらなくていいじゃないか、と。(中略)
地域活性化の名目で資金が流れ、その一回しの中で食っている人たちにとっては「税金での地域活性化」は不可欠です。
しかし地域全体には、その効果は全く波及しません。
というより、補助金に依存した段階で「衰退の無限ループ」にハマってしまうわけです。
地方創生に必要なのは、民間が立ち上がって市場に向き合って取り組むことが必要です。
成果をあげているのは、民間が立ち上がり、事業を推進している地域ばかりです。
そもそも行政は、利益を出すことなど、やったことがないし、そんな目的で作られてもいません。
政治も同様で、分配の内容やルールこそ決めることができても、稼ぎを出す集団ではありません。
つまりは、民間が立ち上がるほか、地方が活力を取り戻すなんてことはないのです。―
木村氏の「補助金に依存した段階で、衰退の無限ループにハマってしまう」という指摘は、私などその通りだと思うのですが、衝撃的な発言でもあろうと思います。
地方の衰退を救うはずの補助金が、逆に衰退を助長してしまう、という真逆の話だからです。
そんなこと思ってもいない人も多いのではないでしょうか。
これは何も、地方行政への助成という形に限りません。
個々の事業に対する補助金にも似たところがあります。
事業を振興或いは発展させるための補助金が、驚くほどその成果に繋がっていないのです。
むしろ、条件付き、紐付きの場合、のちのちそれらが返って足かせになって事業の健全な発展を妨げることも多いのです。
補助金は、出す方も受け取る方も、その中身や制度について今後相当頭を切り替えていかなければならない課題であろうと思われます。
衰退の象徴、シャッター商店街
つづく