聞いてないヨー!―散々無茶振りをされてきてわかった自分の性格―Ⅱ
私の体験でいえば、昔、ある事情があって学業を放り出し、北海道の牧場で40日間働いたことがあります。(「ある事情」はどうか聞かないでください)
「自分探し」などと言う言葉など思いつきもしませんでしたが、
「自分の中の何かが変わるんじゃないか。」
といった淡い期待を持って飛び込んだのです。
怠惰な学生生活でふやけきっていた私にとって、40日間不休の牧場仕事は過酷を極め、1日5食も食べていたにもかかわらず、体重はずいぶん減ってしまったことを思い出します。
今考えてみれば「自分探し」にはもってこい、の体験だったかも知れないと思います。
で、東京に帰った直後私は
「なんか自分は変われた!」
それこそ
「自分探しができた!」
と、思った・・・ような気がしていました。
が、もう少し長い目で見れば、まあほとんど何も変わっていなかった、というのが現実だったのです。
結局「自分探しの旅」にしろ、私のような「何かが変わるかも知れないの旅」にしろ基本的には現実からのエスケープであることにおおきな違いはありません。
「逃げ」の先には、本質的に大したものは待っていないのです。
このことは、百田氏も
「こどもが泣きながら走って逃げていくようなものだった。」
と、喝破しておられます。
私も、「自分探し」などとカッコつけないで、旅行とか軽い冒険とか言った方がはるかに素直な気がするのですが、いかがでしょうか・・・・
この夕陽の向こうに「自分」はいるのか?見つかるのか?
おしまい