涼しい顔して「OK」と言えるか―「もったい」をつけないのが男の力量―Ⅱ(おしまい)
この「自分探し」という言葉を耳にすると、私は映画「スタンド・バイ・ミー」を思い出します。
「スタンド・バイ・ミー」は4人の少年が、歩いて一両日くらいかかる森の中に、列車にはねられた同年代の少年の死体があると聞き、それを見に行くというお話です。
途中、自分たちも列車にはねられかけたり、沼にはまって身体中ヒルに喰いつかれたり、キャンプしたりしながら目的地へと向かう物語です。
少年たちにとって、この短い旅は軽い「家出」みたいなものなので、展開されるストーリーはちょっとした冒険談風になっています。
この旅を通じて、少年たちは友情を深めたり、表面からは分からない心情を吐露したり、それを真剣に受け止めたりしながら、それぞれちょっぴり成長していくのです。
こう言ってはなんですが「自分探しの旅」って、この「スタンド・バイ・ミー」の少年たちとどこが違うのだろう、と思います。
この少年たちは「自分探し」などと大層なことは考えていないし、意識もしていません。
「死体があるから見に行こうぜ。」
という単なる子供の好奇心の延長に過ぎないのです。(それも、よくわからんと言えばわからん話ではありますが・・・)
彼らは「自分探し」などというカッコつけた行為とは意識していなくても、
「自分たちは冒険しに行くんだ!」
という自覚はあっただろうと思います。
この「冒険に行く」という意識は分からないではありません。
多少のリスクは顧みず、未体験のちょっぴり危険な領域に踏み込もうとするのは、いわば男の子の習性であり、特権でもあります。
この夕陽の向こうにはなんかあるんじゃないのか?
つづく