義理人情の世界と現代経営―ウエットなしがらみをいかに断ち切るかは大きな課題―Ⅲ
[見出し:町の商売、その変遷]
私の父が、税理士として事務所の業績を最も伸ばしたのは、昭和40年第50年代とその前後を含む約30年間ということになります。
当時、どんどん発展し続ける商売人の旦那衆から多くの会社設立いわゆる「法人成り」を請け負ったのではないかと推察されるのです。
「法人成り」をし、会社という形態になった商売はその後もしばらく業績を伸ばし続けることができました。
当時の創業者は、会社にも個人的にもかなりの内部留保を形成することが可能だったのです。
この頃までは、地方における「町の商売」もそれほど悪くなかったといえましょう。
ただ、高度経済成長期における、地方から都市部への人口流入の形はこの頃できつつあったのです。
昭和50年代くらいまでのピ-クを経て、地方の過疎化が始まりました。
税理士という立場の私の父は、それほどこの急激な過疎化の影響は受けずに済みました。
しかしながら、典型的な町の商売を生業(なりわい)としていた家内の父などは、かつての賑わいを失っていく商売を複雑な思いで見ていたようです。
その対策として、同じ商店街仲間と様々な手を打ったようです。
しかし、それらの努力が報われることはありませんでした。
「商売人冬の時代」に次第に突入していったのです。
まあ、これほどボロボロではありませんが・・・・
町の商工業者が勢いを失い始めた頃、入れ替わるように地方における産業の次の主役として、次第に土木建築業が台頭してきました。
民間事業ではなく、公共事業を請け負ったこれらの法人は、一時地方の経済を支えただけではなく、雇用の受け皿としても地方においておおいに機能したのです。
公共がベース故に、 財務諸表の定期的なデータ提示を義務付けられたこれら土木建築業は、税理士事務所の有力な顧客でもありました。
また、経理財務部門における処理の電子化、或いは電子申告の導入も早かったのです。
つづく