青春の彷徨、新宿ゴールデン街―無頼に生きる、がテーマだったあの頃―Ⅰ
「はて? 今日、式をあげるのは俺たちだけと聞いていたけど…」と私は不思議に思いました。
後で事情を聞くと、どうしてもその日でなければ都合の悪いカップルがいたらしく、強引にというよりも、何とか頼みこんで自分たちの式を入れてもらったとのことだったのです。
そうやって、彼らはようやく式をあげることができたのでした。
無理に入れてもらったからか、周りにすごく遠慮している様子だったのです。
当時は結婚式場の方が売り手市場で、なかなか予約が取れいことが普通でした。
家内は、式場に入る直前、私たちが披露宴の始まるちょっと前まで使っていた小さな控室で、そのカップルが質素な式をあげているのをチラッと見たと言っていました。
既にベロベロに酔っぱらっていた私はそんなことには気づきもしなかったのです。
割と冷静に周りを見ていた家内(家内はお酒を飲みませんので・・)から、後でその話を聞かされて、私は「え!」と驚きました。
と、同時に少し胸が痛かったことを覚えています。
片や300人も人を呼んで大広間で延々とどんちゃん騒ぎ。
片や身内だけで小さな控室を使ってひっそりと。(私の披露宴など、後半はほぼ父の同窓会の様相を呈してきていました。)
しかもせっかくの記念写真を撮ろうとしていたら、ドカドカと私たちがやってきたために先に譲ることになったのです。
あの日のことを思い出すと、同じハレの日なのに何だかあまりに違いすぎるなあ、と心が痛みます。
誰にだって心おきなくハレの日を祝い、幸せになる権利はあります。
町の名士(?)の馬鹿息子(もちろん私のこと)がワイワイやっているその横で、申し訳なさそうに気を使いながらささやかな式をあげていたあのカップル。
できることならば
「その節はすみませんでした。ごめんなさいね。」
と謝りたい気分である。
幸いにして私は今、家内と仲良く幸せに暮らしています。(だよね?奥さん・・・)
あの日のあのカップルもそうであることを願ってやみません。
おしまい