青森高校に置かれた「教育勅語」とは?
敗戦まで日本の教育の根本となった「教育勅語」
青森県の高校の1年生全員の机の上に、「教育勅語」が置かれていたというニュースがありました。「誰が、何のために?」という真相は、おそらく判明しないかもしれませんが、近ごろ折々「『教育勅語』による教育の復活を」ということが言われるのと、つながりはあるのでしょう。
さて「教育勅語」とは何か、かいつまんで説明すると、明治23年(1890年)に明治天皇より下された「教育二関スル勅語」であり、昭和20年(1945年)の敗戦まで、日本の教育の根本となっていました(正式な廃止は昭和23年)。
その内容ですが、国民に対する教えとして、「父母に孝行し、兄弟仲良く、夫婦は協力し、友人同士信じ合い、己をつつしみ人には恭しく接し、学問を修め(後略)」、自分を磨いて有為の人材となるべきだ、とされています。この部分に関しては、現在の日本にとって有意義な範となるべきものを読みとりうると、私も思います。こうしたことが疎かになった結果、他者を敬わない、顧みない、思いやりに欠ける社会が形作られた、と考えることもできそうです。それを改善するのは、たしかに「教育」の大きな役目でもありましょう。
「教育勅語」による教育の復活は現実的に可能か?
しかし、現在・未来の社会において、「教育勅語」そのままの学校教育を実施することは、可能でしょうか。「教育勅語」が下された当時と今とでは、日本だけでなく世界的に見ても、社会・思想の成熟度は、大きく異なります。情報・通信の環境も、劇的に変わりました。
加えて、明治時代の日本は江戸時代の260年間における近代科学の遅れを取り戻し、欧米列強と肩を並べるべく新しい国作りに邁進した国家であり、しかも抜本的には薩長の武士階級が建設した国家です。ほぼ同時期に発布、開設された憲法、国会の成立の過程でも、力で押さえこんだ面もありました。翻って現在の日本は、欠けるところはあっても民主主義の国であり、その違いは大きいのではないでしょうか。
さらに、「教育勅語」は「朕(ちん)惟(おも)ふに」からはじまる「天皇のお言葉」であり、先に要約した心得のあとには、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スへシ」(ひとたび事が起こった時には公に奉仕し、永遠に続く皇室の命運をたすけなさい)というくだりが続いています。「教育勅語」と「御真影」を納めた奉安殿には最敬礼することが義務づけられ、それを怠ると厳しく咎められました。「お国のために命を捧げ」た先人たちのことも、頭をよぎります。
「教育勅語」そのものをもし復活させるとすれば、日本国憲法第1条、第4条との関係を顧みる必要が生じるでしょう。そして何よりも、現在の天皇陛下のご判断(「教育勅語」の時代の言葉では「大御心=おおみこころ」と言います)を待つことなしに、論じうる性質のものではないと考える次第です。