過度な「キャリア権」主張が生む弊害
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労働環境の変化により「キャリア権」は企業から個人へ
朝活や、資格取得のための勉強、ビジネス講座の受講など、自身のキャリアアップを目指して積極的に行動する人が増えています。そんな中、近ごろ「キャリア権」という言葉が注目されています。「キャリア権」とは、働く人々が意欲と能力に応じて希望する仕事を選択し、職業生活を通じて幸福を追求する権利のことです(出典:NPO法人キャリア権推進ネットワーク)。
昭和の高度成長期に日本に定着していた終身雇用制度の下では、労働者は就職した企業内で教育訓練や配置転換されることにより様々なスキルを身につけていきました。つまり、労働者個人のキャリアは企業が形成するものであり、自身のキャリアに関して労働者は受け身だったのです。
しかし、終身雇用制度が崩壊し、転職が誰の身にも起こり得るようになってくると、それが一変しました。転職の際にはそれまでの経験・実績・スキルが一つの採用指標になります。雇用が流動的になった現在、労働者にとって自身のキャリアをきちんとアピールできることは重要です。採用側にとっても、これまでのキャリアがはっきりとわかる人材を選べるメリットがあります。
自分がどのような職業・職種に就きたいのか、どのような働き方をしたいのかを見据え、労働者が自分でキャリアを形成していく。つまり「キャリア権」は企業から個人のものへとシフトしていったのです。
「キャリア権」をあまりに追求し続けると大きな損失になることも
労働者が主体的にキャリアを形成する「キャリア権」は、徐々に社会的に認められるようになってきています。企業の中には、個人のキャリアに配慮した教育訓練の実施や配置転換を行うところも出てきています。労働者も、企業内の教育訓練だけにとどまらず、自発的に自分のスキルアップに投資するようになり、労働者個人の能力が上がるといった効果もあります。
しかし一方で、「キャリア権」をあまりに追求し続けると、難しい側面も出てきます。個人のキャリアがあまり重視されてしまうと、企業全体として必要な教育訓練や配置転換がしにくいケースが出てくるのです。いくらキャリア形成が労働者個人の権利だと言っても、それにより企業の生産性が落ちてしまえば、結果的に労働者は働く場を失い、また、社会全体にとっても大きな損失となります。
人材の教育にはコストがかかります。大企業に比べ余力の少ない中小企業では教育コストも馬鹿になりませんが、採用した労働者が自分のキャリアを重視するあまり「必要な教育だけ受けてすぐに転職」といった、いわゆる「美味しいとこ取り」をされると、たちまち立ち行かなくなってしまいます。働くということは、個人プレーでは成り立ちません。それぞれが節度をもって職場のメンバーと協力し合い、かつ個人のキャリアも尊重し合える働き方が理想だといえるでしょう。
人事労務コンサルティングの専門家
大竹光明さん(社会保険労務士法人大竹事務所)
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