憲法を「解釈」で変更する危険性
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憲法の存在意義を無意味にしてしまいかねない
最近、政治の世界で、憲法の「解釈」を変更することで問題を解決しようという動きがみられます。 しかし、このような手法には、様々な意味で問題があります。
まず、憲法に限らず、全ての法解釈に共通する話ですが、「解釈には限界がある」ということです。憲法や法律などのルールは文章で書かれており、その言葉の意味を離れた解釈は当然のことながら許されません。そんなことを認めてしまったのでは、ルールとしての意味がなくなってしまうからです。
次に、憲法特有の問題があります。それは、憲法を「解釈」で変更するという手法は、憲法の存在意義を無意味にしてしまうということです。 憲法には、権力を握っている権力者が暴走して国民の権利利益を侵害しないように歯止めをかけるという働きがあります。これを「立憲主義」といいます。この立憲主義は、もともと絶対王政時代の国王に対する歯止めとして発展したものですが、民主主義社会においても権力者の暴走を防止する重要な役割と位置づけられています。 憲法を国家権力である政府の判断により「解釈」で変更することができてしまえば、権力者の暴走を防止するという役割が全く果たせなくなってしまうのです。そうなれば、憲法の存在意義は全く無意味となってしまいます。
「解釈」変更は今だけ一度きりの問題ではなく、将来にも影響
もちろん、憲法も成文化されたルールの一つですから、解釈が一つに決まるとは限らず、多種多様な解釈がありえます。しかし、先に述べたとおり、言葉の意味を離れるような解釈はできませんし、時の権力者の恣意的な解釈を許してしまっては憲法の存在意義自体無意味となりかねないのです。 憲法の「解釈」を変更するという場合には、こうした懸念が払拭されるかどうかに慎重にならなければなりません。
現在、議論されている憲法の「解釈」変更についても、第一に、その解釈が元の言葉の意味から考えて解釈の限界を超えていないかどうか、よく検討されなければなりません。単に必要性があるというだけでは、解釈変更は認められるべきではないのです。 また第二に、今回の解釈変更が今回限りで済む変更なのかということも、よく検討されるべきでしょう。一度、解釈変更を認めてしまえば、別の政権となった際にも似たような解釈変更が簡単に行われてしまう可能性があります。憲法の「解釈」の変更は、今だけ一度きりの問題ではなく、将来にも影響すると考えなければなりません。
本当に必要性があるのであれば、堂々と明文の憲法を改正するべきでしょう。
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