子どもや女性の自殺増加、その背景にあるのは「孤独感」。スクールカウンセラーの配置などの取り組みはどこまで有効に機能?学校の存在価値は?
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コロナ禍より1年が経過。厚生労働省は自殺者が11年ぶりに増加した2020年の詳細な統計を発表し、女性や子どもの自殺者数が目立って増えていることを明らかにしました。
自殺の多くは複合的な原因や背景があるものですが、女性の自殺動機では健康・勤務・家庭問題の悩みが多く、男女とも自粛生活による家族関係の不和や孤独感が増えたことなどが原因と考察されています。
また、小中高生の自殺は479人と前年より140人増加して過去最多に。前年の同月と比較して2倍を超える月もありました。動機の上位には学業不振や進路に関する悩みに加えて、親子関係の不和などがあがっています。文部科学省でも、今後この傾向が大きく影響するものと分析。学校として保護者・地域住民・関係機関との連携や積極的な取り組みが急務と、危機感を募らせています。
児童生徒の自殺予防の取り組みには、スクールカウンセラーやソーシャルワーカーの配置のほか、各種相談窓口、ネットパトロールなどが行われてきました。社会全体が不安感に覆われるなか、休校中や学校再開後にそれらが有効に機能していたと言えるのでしょうか。
文科省はコロナ禍のさなか、児童生徒の心のケアや環境の改善に向けて、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーによる支援の促進を各都道府県の教育委員会に求めてきました。
子どもの教育や心のケアの部分でも、これまでの取り組みを強化するしかないのでしょうか。心理カウンセラーの高澤信也さんに聞きました。
<参考>厚生労働省「自殺の統計:地域における自殺の基礎資料」(暫定値)を基に文部科学省において作成「コロナ禍における児童生徒の自殺等に関する現状について」
他人や自分を信じることができない精神的断絶が、人を死へ近づける。スクールカウンセラーの有効性に限界があるとしても、学校教育の場は生きる力を育てるために〝ちゃんとつながる場所〟であるべき
Q:コロナ禍の第一波では男女を問わず自殺件数が減少し、第二波では女性や子どもの件数が増加しました。2020年下半期に女性や子どもの自殺が増えたことについて考えられることは?
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自殺という重い選択に至るそれぞれの人が抱える問題については、簡単に分析できるものではありません。ただコロナ禍という特殊な状況が、多くの人にとって心のつながりまで失ったように感じさせ、不安を増大させてしまうということはあるでしょう。
近年、世の中の流れとして人と人とのつながりが失われつつあることは、誰もが感じています。昔のように体をぶつけ合うような遊びを通して、人とつながる感覚を身に着けてきた子どもたちの日常風景もあまり見られなくなりました。近くに居てもそれぞれがゲーム機に夢中になっていて、会話もほとんど聞こえてきません。
コロナ禍では、親しい人と簡単に会うことができず、多くの人が寂しく不安な気持ちを感じています。それでも「心でつながっている」という実感があれば、たとえ目の前にいなくても、愛着の対象と完全に分断されたような喪失感を抱くまでではないはずです。ところが「つながっている」という感覚が弱い場合、相手が目の前にいないと、救われようもないほどの孤独感に襲われることもあるのです。
一般的に企業などの縦割り社会になじんできた男性は、自分の存在価値を仕事の評価、役職、あるいは所属する企業そのもので測る傾向があります。一方で女性が所属する世界は仕事だけに限らず、ママ友、地域コミュニティー、保育施設や学校などとさまざまで、横並びにつながっていると言われており、その世界では直接的な関わりが重要視されています。
この違いから、男性は不本意な配置換えやリストラなどで、社会的地位を失うことになると、そうした背景のない本来の自分自身を見失い、「仕事をしていなければ、存在価値がない」と思い込んでしまうこともあります。女性は、顔を合わせている間は安心できても、離れている時間が長くなると、「自分だけが孤立しているのではないか」「自分の不在中に悪く言われているのではないか」と、マイナスの考えにとらわれてしまうことがあります。
男女に関わらず、こうした「本来の自分自身のなかに、尊厳や存在価値を見いだせない」という感覚が、コロナ禍に関わらず、その人がこれまでに長い間抱えてきた問題があらわになったにすぎないのです。
Q: 「孤独・孤立対策室」が内閣官房に設置されたばかり。国はシニアの一人暮らしだけでなく若年層でも失業中、引きこもりなど社会から孤立している人が増えていることを問題視しています。このアプローチについてどのようなことが考えられますか?
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報道では、複数の関係府省から人員を構成する「孤独・孤立対策室」を始動するとしています。これは、すでに「孤独担当相」を任命し、相談体制を強化するなどの対策を進めているイギリスの例を参考にしているようです。
もちろん人が自ら死を選ぶ要因はひとつではありません。死の瀬戸際に立ったとき、最終的に引き金となるのは、「この世の中に私を大切に思う人はいない、私はひとりぼっちだ」と思い詰めてしまう「精神的孤立」ではないでしょうか。
この孤立には2つの意味があると考えています。ひとつは他者との絆を感じられないこと。言い換えれば「私は(人と)つながっている」「何か問題があっても助けてもらえる」「(漠然とでも)私は守られている」と信じる気持ち、これらが希薄である状態。
もうひとつの孤立とは、他ならぬ自分自身との断絶です。「私は私であっていい」「ありのままで愛されている」と感じることができないという意味です。
これら他者信頼、自己信頼(自己肯定)は、ともに幼少期に愛情や好意の気持ちを育む「愛着」の形成がどれだけ健全になされているかに大きく左右されます。経済的苦境、他者からの批判や拒絶、失敗体験、失職や別離などの喪失体験、居場所での疎外体験といったストレス体験は、自殺のきっかけではあっても原因ではありません。自分自身や他者とのつながり(絆)の弱さが、このようなストレス体験によって、ある時ピークを迎えてしまい、自殺という悲しい選択へ向かうのではないでしょうか。
人はどんなにつらくなっても、「そういえば、私には〝あの人〟がいる」ということに思い至りさえすれば、最後の一線を踏みとどまることにつながります。〝あの人〟とはすなわち自分にとっての重要他者であり、また自分自身でもあります。
国が危機感を持って対策を打ち出そうとしている動きに対して、有効な手立てとなるのは、「どうすれば人は自殺しなくなるか?」という考え方ではなく、「どうすれば彼(彼女)は自分や他者との絆を回復できるか?」という問いかけのような気がします。
Q:人との接触が制限される特殊な状況下で、家族との関係が良くなったと感じる人もある一方、以前より関係が険悪になったと感じる両極端のケースが見られました。特に親子の関係性が不安定になるのはなぜでしょう?
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厚労省の統計によると、女性の自殺原因・動機で「親子や夫婦間の不和」「子育ての悩み」が増加、児童生徒では「家族からのしつけ・叱責」は昨年と同数ですが、「学業不振」「進路の悩み」に次いで「親子関係の不和」が増えているようです。
家族で過ごす機会が増えて絆が深まったという家庭と、虐待や離婚などの破壊的な状況へ進んでしまう二極化の現象もまた、潜在的に機能不全であった家族の問題が、コロナをきっかけに顕在化したということだと思われます。
こうした家庭では、日頃から、親が自分のイライラに対処する方法「ストレスコーピング」が不足していることが大きな要因と考えられます。
自分の心の内にあるストレスを処理できないままでいると、たとえば子どもが騒いでいる時に、自分にとっての不快な状況そのものを変えようと、「うるさい、静かにしろ!」などと声を荒らげてしまうこともあるでしょう。
自分の心のケアができないままだと、大きな声を出しても問題の解決にならないばかりか、さらに不満を蓄積させてしてしまうという悪循環に陥るのです。
もうひとつの要因は、親がため込んでしまった不満や閉塞感を、どこにも吐き出す場所を持っていないことです。
子育て中にイライラし不安定になるのは誰にだって起こり得るもの。自分や他者と健全な関係を保てている場合は、そのイライラを分かち合える家族やママ友、子育てを支援してくれる人々へ時折気持ちを吐き出すことで平穏を取り戻せますが、孤立した子育てが特別な環境ではない現代ではこの「誰かに吐き出すこと」という簡単な対処さえできない親が大勢います。
休校で在宅を強いられた児童生徒の中には、慣れない環境での不安に加え、テレワークなどで母親だけでなく父親までが家にいる状況に「まるで2人から監視されているようだ」と苦痛を感じることもあったようです。親にとっての「良い子」であることが愛情の対価として求められていると、家の中でものびのびとくつろぐことができません。
誰かの評価にさらされて生きることは、「何かの価値を持っている」あるいは「何か価値あることを行っている」という実感が持てなければ、認められている気がしないものです。
それは、子どもが生きていく上で最も大切な「ありのまま存在しているだけで愛される対象である」という感覚から得られる安心感とは、遠くかけ離れたものとなります。
Q:1995年からスタートしているスクールカウンセラー事業。2020年5月には文科省から各都道府県教育委員会に向けて、支援促進の指針が示されました。これまでは十分に機能してきたと言えるのでしょうか?
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学校生活や家庭などで問題を抱えている子どもにとって、教師や親以外の大人と関わることができるスクールカウンセラー制度は、セーフティーネットとしてとても大きな位置づけになります。
自分や他人との絆の希薄さから自分の命を軽視するような、重大なリスクを抱えた子どもやその親には、第三者であり、人の心のメカニズムに深い洞察のあるスクールカウンセラーの視点はとても重要なものです。
ただ残念ながら今までのところ、その有効性には限界があると言わざるを得ません。
一つの学校ごとに専任のスクールカウンセラーが配置されているわけではありません。自治体にもよりますが、スクールカウンセラーが月1~2回、3~4校を掛け持ちで担当している現状では、一人の子どもにじっくりと向き合い、時間を掛けて支援をすることは難しいと言えるでしょう。
「相談に乗ってもらって、せっかく前向きな気持ちになったのに、休み明けに異動で別のカウンセラーが担当になっていた」などということもあるようです。
学校や教師との連携が欠かせないだけに、支援の自由度にも制限があります。ひとりひとりの子どもが抱える問題はさまざまです。たとえば、問題が目に見えて現れやすい不登校について、学校側は多くの場合「登校させること」を目的とせざるを得ません。その子どもにとって自身の心の問題解決の方法が、必ずしも登校することではないとしても、スクールカウンセラーには、少なからず学校の意向をくみ取った対応が求められる場合があります。もどかしい限りですが、やむを得ないことでもあります。
国の担当課も、コロナ禍の子どもの心の問題には真剣に取り組む姿勢を見せていて、「学校現場であらゆる感染対策を講じながら、電話、ICT(情報通信技術)、手紙、家庭訪問等のあらゆる手段を活用して、できる限り児童生徒や保護者との切れ目のないつながりを継続することが重要」「平常時のルールや考え、対応に固執することなく、創意工夫をこらす」必要があると、各教育委員会へ通達しています。
特殊な対応を求められる現場の悩ましい事情は想像に難くはありません。加えてこうした支援には、これまでに多くのスクールカウンセラーやソーシャルワーカーが行っていたような、地道な働きかけがその主なものであることに変わりありません。こうした緊急時にあっても、そこまで迅速に成果が出せるようなものではないのです。
<参考>令和2年5月 科学省初等中等教育局児童生徒課が各教育委員会にあてた事務連絡より
Q:保護者や子どもが悩みを抱えていても、スクールカウンセラーやソーシャルワーカーに相談する機会を適切に利用するには至らないことが多いようです。相談する側は実際にどう活用すればいいのでしょうか?
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保護者や子ども、場合によっては教師などが学校生活について困ったことや悩み事を抱えていて、スクールカウンセラーの存在を知っていても、「じゃあどのようなことが相談できるのか」「悩み事をうまく整理して説明できない」「ささいなことだから、相談するほどでもないのでは?」と、二の足を踏むことが多いという声がよく聞かれます。一般的なカウンセリングでも、同じように一歩を踏み出すには相当な勇気がいるものです。
またスクールカウンセラーは、臨床心理士・公認心理師・精神科医などの有資格者が、複数の学校を兼任する形で配置されることが多いようです。その学校を担当するスクールカウンセラーが、「どのようなケースの経験や知識が豊富なのか」「熱量はどうか」など、実際に相談してみるまでわからないこともたくさんあります。さらに専門家とは言っても人間ですから、相談者との相性の良し悪しもあります。
相談の内容は、基本的に子どもに関すること、学校生活や家庭生活で困っていることならどんなことでも、相談していけないということはありません。たとえ担当カウンセラーの手に余るような専門性の高い相談内容であっても、適切な相談機関を紹介してくれる窓口としての役割も担っていますので、「こんな相談は受け付けてくれないのでは?」という心配は必要ありません。
一方で、人間と人間との心の関わりあいですから、「相談してみたけれど、しっくりこなかった」「かえって心がザワザワする」ということもあるでしょう。その場合、「やっぱり相談するんじゃなかった」とあきらめるよりも、相談者自身の感性を信じて、別のカウンセラーを探すことをお勧めしたいです。
Q:オンライン授業の普及が加速し、これまであまり一般的ではなかった通信制学校も大きく見直されています。従来通りの学校の存在意義が揺らいでいるようにも思えてしまいますが、変わらない価値とは?
昨今、いじめの低年齢化・凶悪化に加え、ICTによるオンライン授業などの導入も進み、一部では「無理をして学校へ行かなくてもいいんじゃないか」というような風潮も現れています。
「個人の能力を伸ばすには、画一的な教育は無価値だ」という、どこか耳障りの良さそうな言葉も聞こえてきます。通信制高校なども確実に実績を上げているようで、多様な選択ができる世の中になりつつあるのは悪いことではないのかもしれません。
一方で自殺が増加している事実や、コロナ禍で生活が不安定になったことから人とのつながりの重要性が再評価されていることを考え合わせると、やはりこれから育っていく子どもたちにとって、学校教育は大切な人間形成の場所であることに変わりはないと思います。今、再評価されている「絆」を育むのは、「ちゃんとつながる体験ができるかどうか」にかかっています。
私たち人間は「つながる」ことで進化し、生き延びてきました。だからこそ、まずはありのままの自分を受け入れ、愛することが大切になってきます。自分自身との絆を回復できれば、次に大切なことは、集団の中で人と共同し、ぶつかり合い、ケンカし、仲直りや折り合うことを覚えること。これはそのまま生きる力となるでしょう。
そして、過酷な経験を乗り越え、本当の意味で生き延びるために最も必要なことは、苦しみの中で寄り添ってくれる他者の存在ではないでしょうか。それは友人であり、家族や他の支援者であり、そのとき心と心でつながって支えてくれる存在です。生きる力を育てる場所としての家庭や学校の存在意義は、想像する以上に普遍的なものに思えてなりません。
Q:改めて子どもの自殺増加を重く受け止める必要があります。何か手立てがあるとすればどのようなことが考えられますか?
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難しい命題ですが、もしも目の前にそうしたリスクを抱えた子どもがいることに気付いたら、まずは声をかけてみてほしいと思います。なぜなら子どもが自らSOSを出せないことが往々にしてあるからです。
前述のように、「精神的な孤立」は時に生きる気力を奪いかねません。子どもは親との関わりを通して、自分と他者とのつながりを学びます。家庭内での子どもの孤立は、最も避けるべきリスクでもあります。親自身が他者とのつながりを回復させ、自己肯定感を保つことが、その家庭が子どもの安全基地として機能できる最低条件となり、長期的には子どもの命を守ることにもなるのです。
親が安全基地の機能を果たすことが難しい状況にあるときは、むしろ親のケアの方を手厚くする必要があります。親は家族や友人、かかりつけの医師、スクールカウンセラーなど他人の手を借りながら、できるだけたくさんの逃げ場所を持っておくことが役にたちます。
親自身が自分と他者との心のつながりを回復させ、その上で子どもの愛着を育むこと。長い道のりですが、このことが、いつか子どもの心が不安に揺らいだとしても、「生きること」をあきらめないための根本的な解決策になると信じています。
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