ドキュメンタリー映画「徘徊」:認知症の母と娘の日々を描いた作品
『I am Sam アイ・アム・サム』などで愛くるしい子役ルーシーを演じたダコタ・ファニング主演の最新作です。あの可愛かったルーシーが成長したらどんな美少女になっているのか、楽しみにしていましたが、まさか自閉症の役を演じるとは思いませんでした。ところが映画を見てまたびっくり。見事に自閉スペクトラム症の少女を演じきっていました。
ストーリーは簡単に言うと自閉スペクトラム症でなかなか自分の感情をコントロールできない日々が続いたために、施設に入所していた少女ウェンディ。彼女は大好きな「スタートレック(な、懐かしい!)」の脚本コンテストに応募するために書き溜めた原稿を抱えて、締め切り間際のハリウッドの映画会社に一人旅立ちます。まぁ、それだけでも苦労するだろうに、道中さんざんな目にあいながらも、その困難を乗り越えていくというロードムービーでもあり、また自分の力で目標を達成していく自立心をめぐる成長物語でもあります。
彼女の苦悩だけでなく、彼女をめぐる家族の葛藤や入所施設の担当職員の葛藤も描かれ、それぞれがそれぞれの葛藤を抱えながら乗り越えていく過程が描かれていて、最後のほうでは思わず「がんばれ!ウェンディ!」と言いたくなりました。
障害があるということがそのことだけで生きづらさを生み出すのではなく、彼ら彼女らを取り巻く周囲の環境や関係者の在り方によって社会的に自立していくことを可能にします。そういう意味でもちろん社会的なサポートや環境設定の配慮の必要性も思い浮かべますが、何か具体的に手を差し伸べることだけではなく、彼ら彼女らが自分の力で困難を乗り越える姿を見守りながら「待ち続ける」ことも大切なのです。ハリウッドを目指し一人(と愛犬一匹)で旅に出たウェンディを心配しながらも、最後には彼女が自分の力で目標を達成するところを見守り続ける周囲の姿にいろいろと考えさせられる映画でした。
そして最後にもう一つ。自閉スペクトラムの特性の一つとして昔からごっこ遊びなどの困難などにあらわされる「象徴化能力」の低さが挙げられてきました。しかし私はいろいろな発達障害の方々と接してきて、決してそんなことはない、それよりもむしろ彼らは定型発達者よりも物語そのものの中に生きているのではないか、と思っています。
ただあまりにも物語の中に漂っているため、彼らは現実という大地に着地していないことが多いのです。そういう彼らに寄り添うためには、定型発達者の方から彼らの世界に近づいていくことが必要だと思います。
ウェンディが書き溜めた「スタートレック」の脚本には、結局のところ彼女自身が主人公で彼女の世界の中での家族や関係者が描かれていました。しかも定型発達者から見れば、周囲が彼女の「世話」を焼いていたはずなのに、実はウェンディ自身は彼女の方が家族を助けるという物語を心の中で生きていたのです。
彼女は彼女の書いた脚本の中で彼女から見た自分の物語を生き、定型発達者は定型発達者の中の現実の中の物語を生きているのだという、お互いの立場を認め合う相対的なものの見方が必要とされるのだ、ということ改めて感じさせてくれた作品でした。