シンボリズムの森 ③ 「森」のシンボリズム
さて久しぶりのコラムのアップ。
毎日暑くて、息も絶え絶えながら、何とか何とか。
で、今回取り上げる象徴は「山」
前回は「上下の垂直の軸」としての「塔」を取り上げましたが、今回は山を取り上げます。
「山」といってもいろいろなイメージがありますね。一つイメージの連想・拡充をして見ましょう。
1)登るべきところ
2)乗り越えるところ
3)高いところ
4)木が生えている
5)岩山もある
6)迷うと怖い
7)遭難してしまうこともある
8)高いところから下界を見下ろせる
9)天候が急変することがある
10)登った後は下ってこなければならない
11)動物が生息している
12)神様が住んでいる
13)厳しい自然の象徴
・・・・・・まだまだありますか?
取り合えずここらあたりで連想を終えて、これらをグルーピングしてみます。
例えば
A:<登るところ・乗り越えるところ> 1)2)3)
B:<森などがあって道に迷うと大変> 4)5)6)7)9)11)13)
C:<高いところに登った後は下山しなければならない> 8)10)
D:<神々しいところ>8)12)13)
こんな感じかな。
さぁ、次はこれらのシンボリックな意味は私たちのイメージの世界でどのように使われているでしょうか。一番身近なイメージの世界としての「夢」を題材に考えてみましょう。
例えばAの意味で考えましょう。
あなたが夢の中で高い岩肌のがけっぷちをロッククライミングしているような状況ならば、かなりの覚悟で神経を研ぎ澄まして身の安全を図りながら、しかし決して後戻りはできないというような状況にあなたがいるのかもしれません。その結果登りきれるか、地上に落下してしまうか、それは大きな違いでしょうね。
高い理想や目標を征服するためには、それに応じた準備と不断の努力が必要ですね。
Bの場合は、森の中に迷うと言う意味が入ってきますから、道を選ぶ判断を間違うと大変なことになってしまいます。これは以前取り上げたように、森の中というのは、現実的には何か迷いごとがあってどうしたらいいのか、内面的に葛藤しているような状況が多いようです。それが人間関係の悩みであったり、自分の目的へ向かってどうやって道を選択していけばいいのか、という悩みであることもあるでしょう。
多くの西洋の昔話で最初の部分で森の中に迷い込んでしまうというエピソードが語られるのは、意識的な判断に迷うような状況に置かれることで、自分の生き方をいろいろと葛藤し道を主体的・意識的に選択していくことが必要だ、ということが語られます。
Cの場合は、高いところ=理想や目標を目指していくのはいいが、その結果無事下山して現実世界に戻ってこなければなりませんよ、理想だけ追って現実に無事着地できなければ理想倒れということになります。また「山の手ー下町」なんて言い方もしますが、気位だけが高くて、世間の現実や苦労を知らないと言うような意味に使われることも。
Dの場合は、神様という自然の鎮座されるところだという考え方です。つまり人間があまり自分の意識的な生き方に偏りすぎてうぬぼれてしまうと、山から神様が下りてきて人間世界を滅ぼしてしまう、という行き過ぎた「意識的な生き方」への警告であるともいえます。
地震や火山の噴火、など自然災害は人智の及ぶ範囲ではありません。自然と共存していくこと、自分自身の感情や欲求を抑えつけすぎるとよくない、と言う意味に使われることもあるでしょう。
こういう象徴的な意味の使われ方は、全てその夢やイメージの使われ方の文脈によって具体的に理解されなければなりません。これこれの象徴はこういう意味だから、こうなんだ、と決め付けるような解釈は間違うことがありますので、注意して下さい。