シンボリズムの森 ② 「木」のシンボリズムについて
さて「水」のシンボリズムについてつらつら考えてきたら、なんと3回目になってしまいました。
それだけ「水」と言うものは私達にとって身近であり、欠かせないものだったということもできるでしょう。
今回取り上げるのは、水によって表現される心理的な意味です。
例えば、海を思い浮べてください。大海原にあなたは漕ぎ出ているとします。どこまでも広がる水平面は見渡すことはできますが、足元に広がる深海の風景は仮に船の上から水面下を見通そうとしてもほとんど何も見えません。ところが一度海の中にもぐってみれば、ビックリ!こんなに豊かな魚や生き物がいたのかと思うぐらい、多種多様な生き物がそこにはいるのです。
つまり「意識的に見ようとしても見えないが、見えないからと言って何も存在しないわけではない。むしろ表面からは見えない部分に驚くほどの多種多様な生命力が溢れている」のです。これが「水」の大きな象徴的意味でもあります。これを心理学の言葉で言えば「無意識」と言うことになります。
つまり「明るく光の当たるところでは意識できない」部分なのです。
では無意識とは具体的に私たちにとってどういうものか?わかりやすいのは「意識的にコントロールできないもの」という定義です。「意識的にコントロールできないもの?」と言えば、要するに「頭でどうこうできないもの=精神的なものの対極」のもの、簡単に言えば身体に由来するような感情や欲求などのエネルギーだと思います。つまりものすごく簡単に言えば「水」=「無意識」=感情的なエネルギーと言ってもいいかもしれません。
これが「水」のもう一つの大きなシンボリズム、つまり感情の発露を「水」に例えられるのです。悲しみの涙は言うまでもなく、「みずみずしく、生き生きとした」とか「しめっぽい」とか「(快感に)溺れる」とか「(怒りや恐怖などの感情に)飲み込まれる」とか、一度あふれ出すとコントロールできないぐらいのエネルギーを持っているけれど、上手く付き合うことで私たちの生を豊かにいろどってくれるもの。その水の中には、多種多様な内容物が含まれていて、それによって乾いた生をいやしてくれる。
確か「もののけ姫」の中の1シーンに、森の中にひっそりとたたずんだ泉がありました。傷ついた動物や人間がその泉の水に浸ることで傷が癒されていく「再生」の泉。その泉はきっと地下深くに流れる地下水がこんこんと湧き出ることによって出来上がっているのでしょう。
胎児が母親の羊水に守られて生まれてくるように、こういう母なる大地に守られた「生命力」や「愛情や癒し」や「浄化」や「生を豊かに彩る無意識の感情の力」が、私たちを育てる「水」のもつシンボリズムなのだと私は思っています。