シンボリズムの森 ④ 「花」のシンボリズム
さて5月6月と言えば新緑が目にまぶしい季節ですね。私もGW以降、いろいろな花や新緑を見に行きました。気持ちの良いもです。私だけでなく、もちろん昔から日本だけでなく世界中で「木」について色々な方が色々な思いを重ねてこられました。
シンボルというのは一つの事象に対して、さまざまな多重な意味がこめられています。一つの事象に一つの意味だけならば、それは「記号」でしょうね。何か色々な意味を表現したいのだけれど、どういっていいかわからない時に「上手く言えないけど、とにかくこんな感じ」と言ってイメージや音声で表すしかない時に、それは「シンボル」として機能している、ということになるのではないか、と思います。
そういう意味で「木」ならば「木」に込められたさまざまな意味を探って、広げて、豊かにすることで、「木」で表された相手の気持ちに触れる可能性が増えてきます。こういう作業を「イメージを拡充する」と言いますが、いわば連想クイズみたいなものでしょう。
さてみなさん、ここで連想クイズです。「木」と言えば何を連想しますか?花見?果実?木の実?木陰?季節?
そういう連想をどんどんしていって、大体同じようなものをカテゴライズしてまとめていくと、「木」と私たちとの関係が広がり、深まり、豊かな意味を帯びてくるのを感じ取ることができます。
私の場合、やはり「生命力」を連想します。秋に葉を落とし、冬はまるで枯れ木の様になっていた木が、春になるについて芽を吹き新葉が姿を見せてくれた時の喜び。まるで自分まで生き生きと蘇ってくるようなきにもなってうれしくなります。
と同時に今度はぐんぐんと枝が天に向かって伸び始めます。「なろう、なろう、あすなろう」など言うフレーズで有名なあすなろの樹も「成長」という意味が込められています。
そしていつしか花が咲きます。「花」は見るからにきれいでこちらの目を楽しませてくれるだけでなく、子孫を残すために虫を集める役目を持っています。虫に花の色がどう映っているのかわかりませんが、目にも鮮やかな花は若い女性のはつらつとした、あるいはたおやかな女性イメージをもたらしてくれますね。
そして「実」がなります。桜のように花が散ったら終わりだ、と思いがちですが、多くの野生の樹の場合花はあくまでも「実」=「子孫」を残すための手段でしかありません。人間と同様、次世代を残すことが生物の生きる最終目的ですから、木の場合「実」を成らすために芽を吹き、葉を茂らせ、花を咲かせるのだと言ってもよいかもしれません。
こう考えてくると「木」というのは、人の一生と重ねるところがあります。ですから年月を重ね、風雪に耐えてきたような樹形を持つ「盆栽」に年配者は惹かれるのかもしれせんね。
最後にこんな木もありますよ。あぁ人生を考えさせられますね。
もしよろしければお読みください。
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