示談が成立しても処分が残る場合|示談=不起訴ではない理由
この記事は、2026年10月時点の民法・民事訴訟法・刑法・刑事訴訟法・弁護士法の規定をもとに作成しています。2020年4月施行の改正民法(契約の成立に関する規定、受取証書の交付請求)と、2023年7月施行の改正刑法(不同意性交等罪)の内容を反映しています。
「店の事務所で示談書に名前を書いて拇印を押したが、店側は何も書かないまま、紙を2枚とも持っていった」「示談書のとおり毎月振り込んできたが、見返すと相手の署名欄が空いていたように思う」。風俗店でのトラブルの後、示談書をめぐってこうしたご相談が寄せられます。相手の署名がないと気付いた時点で、「そもそも示談は成立していないのではないか」「それなら、もう払わなくてよいのではないか」と考える方も少なくありません。
ネット上では「相手の署名押印がない示談書は効力がない」という説明を目にすることがあります。署名押印が示談書にとって大切な要素であることは確かですが、署名がないことと、示談が成立していないことは、法律上は別の問題です。署名がなくても合意そのものは成立している場合もあれば、署名がないために合意の中身を後から証明しにくくなる場合もあります。
この記事では、相手の署名がない示談書について、示談が成立しているかどうかを分ける事情、署名がないことで実際に起きやすい問題、支払いの前と後でできることを整理します。示談書の原本を店だけが持っている場合の対応は【風俗トラブル】示談書の原本を店しか持っていない|控えを求めるべき理由で、書面を整えるときの実務は示談書の日付・署名・押印・部数|書面を整えるときの実務で解説しています。
示談は相手の署名がなくても成立しうる
まず押さえておきたいのは、示談が「いつ成立するのか」と「成立したことをどう証明するのか」は分けて考える必要があるという点です。
契約は合意で成立し、書面は原則として要件ではない
民法は、契約の成立には、法令に特別の定めがある場合を除いて、書面の作成などの方式を必要としないと定めています(民法522条2項)。示談は、法律上は当事者が互いに譲歩して争いをやめることを約束する和解契約(同法695条)に当たることが多く、これにも書面は成立の要件とされていません。
そのため、口頭でのやりとりであっても、何の件について、いくらを支払い、それで何を終わらせるのかという中身が特定され、双方がそれに合意していれば、示談は成立しうると考えられます。
署名押印の役割は「合意があったことの証拠」
では、署名押印は何のためにあるのでしょうか。民事訴訟法は、私文書に本人またはその代理人の署名または押印があるときは、その文書は真正に成立したもの、つまり本人の意思に基づいて作られたものと推定すると定めています(民事訴訟法228条4項)。
相手の署名押印がある示談書は、相手がその内容に同意したことを示す有力な証拠になります。反対に、相手の署名がない書面だけでは、相手がその内容に同意したことを示すのが難しくなります。署名がないという事情は、示談が成立したかどうかよりも、示談の中身を後から証明できるかどうかという場面で影響が大きくなります。
客だけが署名した書面はどう見られるか
風俗店でのトラブルでは、客だけが署名や拇印をし、店側も女性本人も署名しないまま書面が作られることがあります。このような書面は、客側の約束(謝罪や支払いの約束)を示す書面としては扱われる可能性がありますが、店や女性側が「これ以上請求しない」「被害届を出さない」と約束したことは、書面の上からは確認できません。
客の約束だけが書面に残り、相手側の約束は書面に残っていないという片側だけの状態になりやすい点が、署名のない示談書の大きな問題です。
示談が成立しているかを分ける事情
相手の署名がない場合に示談が成立しているといえるかは、書面の体裁だけでなく、次のような事情を合わせて判断されることになります。
合意の中身が特定できるか
示談として意味を持つためには、少なくとも次のような点が特定されている必要があります。
- どの日のどの出来事についての示談なのか。
- 支払う金額と、支払いの時期・方法(一括か分割か)。
- 支払えば、それ以外に金銭の請求をしないという清算の取り決め。
- 被害届や告訴の扱いについての取り決め。
相手の署名がなくても、示談書の文面でこれらが具体的に書かれていれば、合意の中身を確認する材料にはなります。反対に、金額だけが書かれていて何を終わらせる合意なのかがはっきりしない書面は、署名の有無にかかわらず、後の紛争を防ぐ力が弱くなります。
相手が合意したことを示す材料が他にあるか
相手の署名がない場合は、書面以外の材料が重要になります。たとえば、示談の場でのやりとりの録音、店の担当者や女性本人とのLINE・メール(「これで示談成立です」「入金を確認しました」といった連絡)、店が発行した受領書、振込の記録などです。
示談書に書かれた金額のとおりに分割金を振り込み、相手がそれを受け取り続けている場合には、相手がその合意を前提に行動していることを示す事情として評価されることがあります。署名がないことだけを見て「示談は成立していない」と決めつけず、相手が合意を前提に動いていたことを示す材料がないかを確かめることが大切です。
誰との間の合意なのか
署名欄が店名だけになっている場合や、署名欄そのものが空いている場合には、示談の相手が店なのか女性本人なのかがはっきりしないことがあります。店が女性本人から交渉や受領の権限を与えられていなければ、店との合意は女性本人を当然には拘束しません(民法113条1項)。
また、店が女性に代わって示談交渉をすることには、弁護士法72条との関係で問題が生じる場合があります。この点は店がキャストに代わって示談交渉をしてよいのか|非弁行為という視点で詳しく扱っています。
署名がないことで実際に起きやすい問題
相手の署名がない示談書で特に問題になりやすいのは、後から相手の言い分が変わったときです。
追加の請求や蒸し返し
示談書に「これ以外に請求しない」という清算条項が書かれていても、相手がその書面に署名していなければ、相手から「その条項には同意していない」と主張される余地が残ります。示談の後に追加の請求を受けた場合の考え方は、示談したのに再度請求された|清算条項と蒸し返しへの対応もあわせてご覧ください。
被害届や刑事手続との関係
不同意性交等罪(刑法177条)は、告訴がなくても起訴できる罪です。示談が成立していても、それだけで刑事手続が止まるわけではなく、示談は検察官が起訴するかどうかを判断する際に考慮される事情の一つという位置づけです(刑事訴訟法248条)。
検察官が示談の内容を考慮する際には、被害者本人が処罰を求めない意思(宥恕)を示しているかが重視されます。被害者本人の署名がない書面は、本人の意思を示す資料として扱いにくく、示談の効果が刑事手続の中で十分に伝わらないことがあります。示談金を支払った後に被害届が出された場合の考え方は、【風俗トラブル】示談金を払ったのに被害届を出された|合意の効果と刑事手続で解説しています。
支払った事実の証明
現金で手渡しし、受領書も受け取っていない場合には、支払ったこと自体を後から証明しにくくなります。支払う側は、支払いと引き換えに受取証書(領収書・受領書)の交付を求めることができます(民法486条1項)。受領書に何を書いてもらうべきかは、【風俗トラブル】示談金の領収書・受領書をどう作るか|後日の否認に備えるをご参照ください。
支払いの前と後でできること
相手の署名がないことに気付いたときに取れる対応は、まだ支払っていないのか、すでに支払ったのかによって変わります。
まだ支払っていない場合
支払う前であれば、相手(女性本人、または女性本人から権限を与えられていることが確認できる者)の署名押印がある示談書の原本を受け取るのと引き換えに支払う、という順序を取ることが考えられます。あわせて、受領書の交付も求めておくと安心です。
その場ですぐに署名や支払いを求められている場合は、示談書に署名する前の最終確認|後から戻しにくい項目はどこかで挙げている点を確認してから判断することをおすすめします。
すでに支払った、または分割払いの途中の場合
「署名がないなら示談は成立していないはずだ」と考えて、自己判断で支払いを止めることには慎重になる必要があります。支払いを止めた場合、相手から合意に基づいて残額を請求されることもあれば、反対に、示談がなかったことを前提に、改めて別の金額を請求されたり、被害届の提出に進まれたりすることも考えられます。
まずは、振込の記録や相手とのやりとりを保存したうえで、相手に署名押印済みの示談書またはその控えの交付を求める、あるいは合意の内容を確認する書面を改めて作るといった方法で、合意の内容を形に残すことを検討します。分割払いを続けることが難しくなった場合の対応は、【風俗トラブル】分割払いの途中で払えなくなった|店への連絡と再交渉で解説しています。
脅されて書いた書面だった場合
その場で強く迫られて書面に署名した、帰してもらえない状況で支払いを約束したといった事情がある場合には、強迫による意思表示として取り消せる可能性があります(民法96条1項)。ただし、取消しを主張するには、そのときの状況を示す材料が必要になります。詳しくは脅されて署名した念書・示談書は有効か|「無効」と「取消し」の違いをご覧ください。
よくあるご質問
相手が拇印だけ、または名前を書いただけの示談書でも扱いは同じですか?
民事訴訟法228条4項は「署名又は押印」がある場合に文書が本人の意思で作られたと推定すると定めており、拇印も押印に含まれると考えられています。一方、相手の名前が印字されているだけ、あるいは誰が書いたか分からない記名だけの場合は、相手本人が同意したことを示す力は弱くなります。どのような形で名前が書かれているかを確認しておくことが大切です。
示談書の写真を撮っていません。内容を確かめる方法はありますか?
相手に控えや写しの交付を求めるほか、そのときのやりとりや振込の記録から内容をたどる方法が考えられます。具体的な進め方は【風俗トラブル】店の事務所で書かされた紙の写真を撮っていない|内容を後から確かめる方法で解説しています。
相手に署名を求めたら断られました。示談はなかったことになりますか?
署名を断られたことだけで、直ちに合意がなかったことになるわけではありません。ただ、相手が合意の内容や成立そのものを争う考えを持っている可能性もあります。それまでのやりとりや支払いの記録を整理したうえで、弁護士を通じて合意内容の確認や書面化を求めるなど、窓口を整えて対応することが考えられます。
まとめ
- 示談は和解契約に当たることが多く、書面は原則として成立の要件ではないため、相手の署名がなくても合意そのものは成立しうる(民法522条2項・695条)。
- 署名押印は、相手がその内容に同意したことを示す証拠としての役割を持つ(民事訴訟法228条4項)。
- 署名がない場合は、録音・LINE・受領書・振込記録、相手が分割金を受け取り続けている事実などが、合意を示す材料になる。
- 店が女性本人から権限を与えられていなければ、店との合意は女性本人を当然には拘束しない(民法113条1項)。
- 不同意性交等罪は告訴がなくても起訴できる罪であり、本人の署名がない書面は宥恕を示す資料として扱いにくい(刑法177条、刑事訴訟法248条)。
- 支払う際は、受領書の交付を求めることができる(民法486条1項)。
- 署名がないことを理由に自己判断で支払いを止める前に、合意の内容を形に残す方法を検討する。
弁護士法人若井綜合法律事務所では、風俗トラブルに関するご相談を池袋と新橋の事務所でお受けしています。示談書や受領書、相手とのやりとりが手元にあれば、それをもとに、示談の内容がどこまで確認できるかを一緒に整理します。
相手の署名がない示談書に気付いてこの先の支払いをどうすべきか迷っている方も、これから示談書への署名や支払いを求められている方も、お一人で判断する前にご相談ください。


