無銭飲食・無賃乗車・宿泊費の未払い|詐欺と利益窃盗の境界
示談の中身については話がついた、あとは書面にするだけ——という段階で、手が止まることがあります。日付はいつのものを書くのか。署名は自分で書かなければいけないのか。印鑑は実印でないといけないのか。何通作って、誰が持つのか。
これらは、示談金の額や条項の中身と比べると後回しにされがちな部分です。ただ、示談書は「後になって話が違うと言われたときに、合意があったことを示すために作る書面」ですから、外形の整え方はその書面がどれだけ役に立つかを左右します。
この記事では、示談書の日付・署名・押印・部数という四つの要素について、法律上の要件になっているものと、要件ではないけれど実務上そろえておく意味があるものを分けて説明します。
この記事で扱うこと・扱わないこと
扱うのは、合意の中身がおおむね固まった後の「書面をどう整えるか」という作業です。日付の書き方、誰が署名するのか、印はどこに何のために押すのか、何通作って誰が持つのか、という四点を順に見ていきます。
扱わないのは次の点です。示談金の額が妥当かどうか、清算条項や口外禁止条項といった中身をどう設計するか、署名してよい内容かどうかの判断、分割払いにするときの条項の作り方、公正証書にするかどうか、被害者の氏名を書面に残さない場合の当事者の表示、相手が未成年で親権者が関わる場合、示談金を渡すときの領収の残し方。これらはそれぞれ別の主題として整理しています。
書面の中身に迷いが残っている段階であれば、外形を整える前にそちらを先に確認するほうが、順序としては自然です。
示談書は何によって成立しているのか
日付・署名・押印・部数の位置づけを理解するには、まず「示談そのもの」と「示談書という紙」を分けて考える必要があります。
示談は合意によって成立する
示談は、法律上は和解契約に当たります(民法695条)。和解は、当事者が互いに譲り合って争いをやめることを約束することによって効力を生じるとされており、書面を作ることは成立の条件になっていません。口頭で合意しても、示談は成立します。
そして、いったん和解が成立すると、後になって当事者の一方に権利がなかったことなどが分かっても、原則としてその点を蒸し返せなくなります(民法696条)。
書面は「後で示す」ために作る
では何のために書面を作るのかというと、後になって「そんな約束はしていない」と言われたときに、合意の内容と存在を示すためです。つまり示談書は成立の要件ではなく、証拠として働く書面です。
この点を押さえると、日付も署名も押印も部数も、「これがないと示談が無効になる」という性質のものではなく、「あると後で示しやすくなる」という性質のものだと整理できます。
署名または押印があると推定が働く
民事裁判で私文書を証拠として使うには、その文書が名義人によって作られたものであること(成立の真正)が前提になります。この点について、私文書は本人またはその代理人の署名または押印があるときは真正に成立したものと推定する、という規定があります(民事訴訟法228条4項)。
なお、押印の有無にかかわらず、故意または重大な過失によって真実に反して文書の成立を争ったときには、過料の制裁が定められています(同法230条1項)。相手が形式的な理由だけで書面の成立を否定し続けることには、それ自体にリスクがあるということです。
四つの要素の位置づけを一覧で確認する
| 要素 | 示談の成立に必要か | 書面としての働き | 抜けたときに起きやすいこと |
|---|---|---|---|
| 日付 | 必要とされていない | いつ時点の合意かを示す | 複数の書面が残ったとき、どれが後のものか分からなくなる |
| 署名 | 必要とされていない | 本人が内容を了解したことを示す | 本人が作成したことを別の証拠で示す必要が生じる |
| 押印 | 必要とされていない | 署名と同じ働きに加え、印影の照合ができると推定が働きやすい | 署名があれば、それだけで問題になるわけではない |
| 部数 | 必要とされていない | 双方が同じ内容の書面を手元に持てる | 相手の書面だけが残り、内容の食い違いを主張されやすい |
以下、それぞれについて実務上どう整えるかを見ていきます。
日付をどう書くか
三つの日付がずれることがある
示談をめぐっては、日付が三つ出てきます。話がまとまって合意が成立した日、書面に署名した日、そして当事者が効力を発生させたいと考えている日です。契約は意思の合致で成立しますから、電話やメールで金額と条件がまとまった時点と、実際に書面を交わす日が数日ずれることは珍しくありません。
実務では署名した日を書くのが通常
書面末尾の日付欄には、署名押印をした日を書くのが一般的な扱いです。目の前の書面を確認したうえで署名しているため、その日を書面上の合意の日として扱っても不都合が生じにくいからです。別に効力発生日を定めていない場合には、末尾の日付が効力の生じた日として扱われるのが通常です。
先に合意していた日を起点にしたいとき
実際の合意日が書面の作成日より前で、その日を起点にしたい場合があります。このとき、日付欄だけを合意日にさかのぼらせる方法は、署名した経緯と書面の記載が食い違うことになるため、後から説明が必要になります。条項の中で「本合意は、本書の作成日にかかわらず、令和○年○月○日から効力を有する」と定めておくほうが、書面としては整理されます。
日付を書かなかった場合
日付は成立の要件ではないので、日付のない示談書がそれだけで使えなくなるわけではありません。ただ、同じ相手との間で覚書や合意書が複数残った場合に、どれが後のものかを判断できなくなります。また「本示談成立の日から○日以内に支払う」という定め方をしていると、日付が空欄のままでは期限の起算点が決まりません。
相手から日付欄が空欄のまま書面が返ってきた場合、こちらで書き足すのではなく、いつの日付を入れるかを確認したうえで双方の認識をそろえておくほうが安全です。
「○月吉日」は使わない
契約書の慣行として「令和○年○月吉日」という書き方が使われることがありますが、日を特定できないため、期限の起算点や書面の前後関係を示す用途には向きません。示談書では具体的な日を書きます。
なお、刑事事件が並行している場合、示談がいつ成立したかは、処分の判断が行われる時期との関係で意味を持つことがあります。この点は、示談を始める時期の問題として別に整理しています。
誰がどのように署名するか
署名と記名押印の違い
署名は自分で氏名を手書きすることをいい、記名押印は印字やゴム印などで氏名を表示したうえで印を押すことをいいます。民事訴訟法228条4項は「署名又は押印」と定めているので、条文上はどちらか一方でも推定の対象になります。
もっとも、手書きの署名は筆跡という手掛かりが残るのに対し、記名押印では印影の照合が問題になります。実務で「署名押印」がそろえられることが多いのは、両方あると本人が関与したことを示す材料が二つになるためです。
本人が書くのか代理人が書くのか
弁護士が代理人として関わる場合、代理人が署名することがあります。このとき大切なのは、誰の代理人として署名しているのかを書面上に示すことです。代理人がした意思表示が本人に効果を生じるのは、本人のためにすることを示して行った場合とされています(民法99条1項)。「甲代理人弁護士○○」のように、資格と本人の表示をそろえて記載します。
家族が本人に代わって署名する、という進め方は勧められません。本人以外が氏名を書いた書面は、後から本人の合意だったのかどうかが争点になり得ます。
相手が店舗や会社の場合
相手が法人の場合は、法人名と、代表者の資格・氏名を書きます。「株式会社○○ 代表取締役 ○○」という形です。現場の担当者の個人名だけで署名されていると、後から「会社としての合意ではない」と言われる余地が残ります。担当者が署名する場合は、その人が会社を代表または代理して署名していることが書面から読み取れるようにしておきます。
印鑑がない場面と拇印
身柄を拘束されているなど、手元に印鑑がない状態で署名する場面があります。この場合に拇印が使われることがありますが、拇印だからといって合意の成立が妨げられるわけではありません。ただ、印影と印章を照合するという形の推定は働きにくいので、氏名を手書きしておくことの意味が相対的に大きくなります。
氏名を書けない事情があるとき
性犯罪など、相手方の氏名や住所を書面に残さない配慮が求められる事案では、当事者を氏名以外の方法で特定することがあります。この場合の書き方は当事者の表示そのものの設計に関わるため、別に整理しています。相手が未成年で親権者が関わる場合も同様です。
押印は何のために押すのか
押印は契約の効力の要件ではない
この点については、国が見解を公表しています。内閣府・法務省・経済産業省が令和2年6月に公表した「押印についてのQ&A」では、私法上、契約は当事者の意思の合致により成立するものであり、書面の作成およびその書面への押印は、特段の定めがある場合を除いて必要な要件とはされていない、と整理されています。押印をしなくても契約の効力に影響は生じない、とも明記されています。
例外として、法律が書面や一定の方式を求めている場合があります。たとえば保証契約は、書面でしなければ効力を生じないとされています(民法446条2項)。示談書に家族などの連帯保証を入れる場合には、この点が関わってきます。
実印と認印で何が変わるのか
押印の意味は、印影が本人の印章によるものだと確かめられたときに、本人の意思に基づく押印だと推定され、さらに民事訴訟法228条4項によって文書が本人の意思で作られたと推定される、という二段構えの働きにあります。実印か認印かという区別そのものが効力を左右するのではなく、印影と印章の一致をどうやって示せるかが違ってくる、という構造です。
この推定は、印鑑登録された実印だけでなく認印にも及び得ると判断した判例があります。ただ、認印の場合、相手が「その印は自分のものではない」と争ったときに一致を示す手段が確保されていないと、推定が及びにくいと指摘されています。実印であれば印鑑証明書によって照合できますが、印鑑証明書は通常その本人しか取得できないため、争いになってから入手するのは容易ではありません。
実際の示談では、互いに実印と印鑑証明書を出し合うことに心理的な抵抗が働くこともあり、認印が使われる例は少なくありません。そのため、印の種類だけに頼るのではなく、次に述べる押印以外の記録もあわせて残しておく考え方が実務的です。
押印がない・押印を拒まれたとき
同じQ&Aでは、押印がない場合でも、文書の成立は証拠全般に照らして判断されるため、他の方法によって立証することは可能だとされています。あわせて、成立を示す手段として、やり取りしたメールの本文と送受信の記録の保存、本人確認情報とその入手経緯の記録、書面が出来上がるまでの経過の保存などが挙げられています。
相手が押印を渋る場合、押印にこだわって話が止まるより、署名を得たうえでこうした周辺の記録を残すほうが実際的なことがあります。
ゴム印やインク浸透印を避ける理由
インクが内蔵されたゴム製の印は、日常の書類では広く使われていますが、長期間保管する書面には向かないとされています。ゴムは経年で変質し、印影の形やインクの色が変わり得るためです。後日、印影を照合する場面を想定するのであれば、朱肉を使う印のほうが無難です。
印の使い分けを整理する
| 呼び方 | 押す場所 | 目的 | 押さないと示談が成立しないか |
|---|---|---|---|
| 署名欄の印 | 氏名の下または横 | 本人が内容を了解したことを示す | 成立しないわけではない |
| 契印 | 2枚以上あるときの綴じ目や継ぎ目 | ページの差し替えや抜き取りを防ぐ | 成立しないわけではない |
| 割印 | 2通を少しずらして重ねた部分 | 2通が同じ内容の書面であることを示す | 成立しないわけではない |
| 訂正印 | 訂正した箇所または欄外 | その訂正が当事者の了解によることを示す | 成立しないわけではない |
| 捨印 | 欄外にあらかじめ押す | 後の訂正にあらかじめ同意しておく | 成立しないわけではない |
契印と割印は混同されやすいので、目的で分けて覚えると整理しやすくなります。契印は「一つの書面が何ページにもわたっている」ことを示すもので、ページの継ぎ目にまたがるように押します。枚数が多い場合は袋とじにして、製本テープと本紙が重なる部分に押す方法が使われます。割印は「双方が持つ2通が同じ内容である」ことを示すもので、2通を少しずらして重ね、両方にまたがるように押します。
いずれも法律上の義務ではなく、これがないから示談書が使えなくなるというものではありません。ただ、複数枚にわたる書面で契印がないと、後からページが差し替えられていないかという議論の余地が残ります。
捨印と訂正の作法
捨印は、後で誤字などを直すときに備えて、あらかじめ欄外に押しておく印です。手間が省ける一方で、押した側は「どこをどう直されるか分からない状態で、あらかじめ同意を与えている」ことになります。相手方が用意した書面で捨印を求められた場合には、押さずに、必要が生じた時点で訂正印を押す形にしてもらうという選択もあります。
訂正する場合は、該当箇所に二重線を引いて正しい内容を書き、そこに当事者双方が印を押します。修正液や修正テープ、消えるボールペンは使いません。訂正が多くなったときは、書き直したほうが結果として早いこともあります。
何通作り、誰が持つのか
2通作って各1通ずつ持つのが基本
示談書の末尾には「本書2通を作成し、甲乙各自署名押印のうえ、各1通を保有する」といった文言を置くのが一般的です。双方が同じ内容の原本を持つことで、どちらか一方だけが書面を握っている状態を避けられます。
このとき、双方の署名押印が両方の書面に入っていることを確認します。自分の分にだけ相手の署名がない、といった食い違いが起きると、書面としての意味が薄れます。
1通で足りる場面もある
当事者双方が義務を負う内容であれば2通が基本ですが、一方が支払う約束をするだけといった内容であれば、支払う側の署名押印だけで足りる場面もあります。この場合、署名していない側が原本を持ち、支払う側は写しを持つことになります。
写しは原本と同じ扱いにはなりませんが、自分がどんな内容の書面に署名したのかを後から確認できるようにしておく意味があります。少なくとも、その場で撮影しておく、コピーをもらっておくといった対応はしておきます。原本は相手が持ち、自分の手元には何も残っていない、という状態は避けたいところです。
刑事事件が動いているときの原本と写し
刑事事件が並行している場合、示談書は、示談が成立したことを示す資料として捜査機関や裁判所に提出されます。このとき提出するのは通常は写しで、原本は手元に残します。原本を渡してしまうと、後日、民事の場面で内容を示す必要が生じたときに、手元に何もないという事態が起こり得ます。
弁護人がついている場合は、原本を誰が保管し、いつどの写しを提出するのかを事前に確認しておくと、行き違いが起きにくくなります。
当事者が3者以上になる場合
支払う側が複数いる場合や、店舗と個人の双方が当事者になる場合には、当事者の数に応じて通数を増やします。ただしこの場合、誰が誰に対してどの義務を負うのかという整理が先に必要で、通数だけを増やしても解決しません。請求の相手方が複数になる場面の考え方は、別に整理しています。
保管と収入印紙
原本は、他の書類と混ざらない場所に保管します。写しを別の場所に置いておくと、原本を紛失した場合にも内容を確認できます。
収入印紙については、示談書という名称で決まるわけではなく、書面に何が書かれているかで判断されます。印紙税が課されるのは、法律の別表に掲げられた事項が記載され、それを証明する目的で作られた文書に限られるためです。損害賠償についての取り決めだけであれば課税文書に当たらないと整理されるのが一般的ですが、記載内容によっては扱いが変わります。示談金を受け取った際の領収の残し方は、書面の種類が変わるため別に整理しています。
書面を取り交わす前後で確認しておくこと
- 書面の内容が直前まで話していた条件と一致しているかを、金額・期限・当事者名の順に読み合わせる。
- 末尾の日付欄が空欄のままになっていないかを確認する。
- 2枚以上ある場合は、ページ数と契印の有無を確認する。
- 2通作る場合は、双方の署名押印が両方の書面に入っているかを確認する。
- 自分が持ち帰る書面を、その場で受け取るか、写しを残す。
- やり取りに使ったメールやメッセージを、書面を交わした後も消さずに残しておく。
最後の点は見落とされやすいところです。書面が完成すると、それまでのやり取りを整理したくなりますが、書面ができるまでの経過は、後から書面の成立を示す材料になります。
よくある質問
印鑑を持っていない場合はどうなりますか
署名だけでも合意は成立します。押印がないことを理由に示談が無効になるわけではありません。後日あらためて押印を求めることもできますが、そのために書面のやり取りが増えるくらいであれば、署名で完結させたうえで、成立の経過が分かる記録を残しておく方法もあります。
相手が押印を拒んでいます
押印は効力の要件ではないため、押印がないことだけを理由に交渉が行き詰まる必要はありません。署名を得たうえで、書面をやり取りしたメールや、本人確認をした経緯を残しておきます。押印がない書面でも、成立の真正は他の証拠によって立証し得るとされています。
PDFや電子契約サービスで交わしてもよいですか
電子的な記録についても、一定の要件を満たす電子署名が行われていれば真正に成立したものと推定する、という規定があります(電子署名及び認証業務に関する法律3条)。ここでいう電子署名は、本人だけが行えるように符号などが適正に管理されているものを指しますので、書面の画像に署名の画像を貼り付けただけのものは、この推定の対象にはなりません。
サービスを使わずにPDFをメールでやり取りする場合は、送受信の記録を残す、パスワードを別の経路で伝える、といった方法が、推定の代わりになる材料として挙げられています。
収入印紙は貼らなくてよいのですか
印紙が必要かどうかは、書面に何が書かれているかによって決まります。損害賠償の取り決めだけであれば課税文書に当たらないと整理されることが多い一方、記載内容によっては課税文書になる場合があります。判断に迷う場合は、書面の案の段階で確認しておくと、貼り忘れや貼りすぎを避けられます。
弁護士に相談する意味
書面の外形を整えること自体は、難しい作業ではありません。ただ、外形の問題として現れているものが、実は中身の問題であることがあります。日付をどこに置くかで迷うのは効力の起算点が決まっていないからであり、誰が署名するかで迷うのは当事者が確定していないからであり、部数で迷うのは義務を負う人が何人いるのかが整理されていないからです。
弁護士に相談する意味は、書式を整えてもらうことよりも、こうした外形に現れた未整理の部分を先に洗い出せる点にあります。相手方が用意した書面に署名を求められている場合には、その書面が誰の立場で作られているのかという視点も加わります。
示談の内容そのものに不安が残っている段階であれば、書面を整える前に、合意してよい内容かどうかを確認しておくほうが順序としては先になります。
まとめ
- 示談は合意によって成立し、書面は後から内容と存在を示すために作る。
- 日付・署名・押印・部数は、いずれも示談の成立要件ではない。
- 私文書は、本人の署名または押印があると真正に成立したものと推定される。
- 日付は署名した日を書くのが通常で、さかのぼらせたいときは条項で効力発生日を定める。
- 署名は本人が行い、代理人が署名する場合は誰の代理人かを書面に示す。
- 押印は契約の効力の要件ではないと、国の見解でも整理されている。
- 実印か認印かで変わるのは、印影と印章の一致をどう示せるかという点である。
- 契印はページの連続を、割印は2通の同一性を示すもので、目的が異なる。
- 2通作って各1通ずつ持つのが基本で、刑事事件では原本を手元に残す。


