マナーうんちく話239≪バラ色の人生とマナー≫
5月第2日曜日は母の日ですね。
1908年頃アメリカのアンナ・ジャービスという女性が、母の命日である5月9日に教会で追悼式を行い、参列者にカーネーションを配ったのが由来といわれています。
そして、その数年後にアメリカのウイルソン大統領が「世界で最もよい母であるあなたの母に捧げる祝日」として名付けたといわれていますが、「母親たちの社会運動を記念したもの」という説もあるようです。
現在と違い100年以上前の時代は、女性の社会的立場は弱かっただけに、「母親の社会貢献をたたえる日」というのは大変意義深いものだったことでしょうね。
それが時とともに、母親に感謝と敬意を表しプレゼントを贈る日になり、今ではすっかり定着したイベントになっています。
ただプレゼントの内容や母の日の過ごし方は、その国々により異なり、ラッパズイセンや菊やジャスミンやケーキを贈る国もあるようです。
また日本には明治以降に伝わったといわれていますが、広く普及したのは恐らく50年前頃からだと思います。
昭和42年に発行された「新しい作法」の書物には、5月の行事で「子どもの日」は詳しく掲載されていますが、「母の日」の記述はありません。
ちなみに、その後に発行された「冠婚葬祭辞典」には掲載されています。
いずれにせよ、母が生きている間に、母に感謝の気持ちを伝える機会を設けることは素晴らしいことだと思います。
母の日は、これだけ世界中に普及しているイベントです。
出来れば単にプレゼントを贈るだけではなく、家族の中でも大きな役割を担う母親の温もりや偉大さも同時に発信出来れば、よりいいのではないでしょうか。
6月には「父の日」もありますが、これより半世紀以上も前に母の日が制定されているのも、それなりの理由がある気がします。
ところで日本では「子は母の背中を見て育つ」といわれています。
ヨーロッパでは「雛鳥は親鳥の通りにさえずる」といわれます。
そしてフランスの英雄ナポレオンは「子どもの運命はその母親が作る」という名言を残しています。
つまり、古今東西、常に、子どもは母親の振る舞いをお手本にして育つわけですね。
「母親がしっかりしていれば子はきちんとする、逆に、親がだらしなければ子どももそうなる」と言われますが、確かに的を射た表現だと思います。
明治から昭和20年まで、日本の義務教育や高等女学校では「礼節教育」に非常に力が注がれていましたが、その内容は「良妻賢母」色が強いように感じます。
今は時代にマッチしないということで、このような教えは批判され、姿を消していますが、私はいかに世の中が変わっても、子どもにとって「賢い母親」は必要だと思っています。
しかし夫に対して「良妻」であるかどうかは、夫婦間の問題であり、世間がとやかく言うことではない気がします。
それこそ多様性を認めるのがいいのでは・・・。
マナー講師として各地で「子育てお母さん応援講座」を開催し、「日常生活のマナー」「社会生活に関わるマナー」「良好な人間関係を築くマナー」「生活習慣のマナー」等を積極的に発信してきましたが、最近のお母さま方は、なにかと忙し過ぎて、なかなか時間が取れないのが現状です。
でも《子どもにマナーを教えられる母親》は必要だと考えます。
特に「よりよく生きる」ことに直結する「食事のマナー」は大変重要で、何をさておいても、親が家庭できちんと子どもに教えて頂きたいと痛感します。
例えば、最近の子どもは箸が上手に使用できない子が多すぎる気がしてなりません。グルメ番組のレポーターにも該当する人を見かけますね。
これを学校で改めるのでは遅いと思います。
これこそ家庭で、親が真っ先に子どもに教える非常に大切なことです。
能力が高い幼い時に、親が愛情をこめて、しっかり教え込めば大丈夫です。
美しい箸の効用は「マナーうんちく話」でも何度も触れていますが、それを認識していただければ、箸の持ち方が最重要事項だとお分かりいただけるはずです。
日本は平和で、四季が美しく、長生きで、世界から見れば非常に恵まれた国ですが、どうもこの点が弱すぎる気がしてなりません。
学校に入るまでに基本的なマナーを家庭で教えてあげればいいと思うのですが、理想論でしょうか・・・。
親が家庭で、必要なマナーを素敵に発揮することが大事で、親が愛情をもって、子どもの心と身体が覚えるまで教えれば十分可能だと思います。
美しい箸使いなどはその典型でしょう。
親が食卓で良き手本を示していただきたいものです。
日本は江戸時代から教育水準は非常に高く、今でも義務教育はほぼ100%で、世界トップクラスだと思います。高校の進学率もとても高いですね。
残念なことは戦後になって、学校教育から「礼節教育」がなくなったことです。
それだけに、親が家庭で教えることが大切だということです。
江戸時代の躾の基本は「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」といわれていました。
3才まではしっかり子どもに愛情を注いで素直な心をはぐくみ、6歳までには基本的な礼儀作法を教え、9歳になると正しい言葉遣いを、12歳までには今のビジネス文章を、そして15歳までに、ものの道理や理屈を教えていたようです。
これが大変素晴らしいと思うのは、これらはお上からの命令ではなく、庶民の間で自然に生まれた教えだからです。
つまりいくら生活が貧しくとも、教育の大切さを認識し、子どもにはキチンとした勉強を施したいという親心ではないでしょうか。
愛情過多ではなく、その内容は、理科や算数や国語のような学問的な勉強より、特に「礼節教育」に力を注いでいる点が素晴らしいと思います。
だからこそ日本は「礼節の国」になったわけですね。
人生50年前後といわれた当時は、社会人になるのも、結婚する年齢も非常に若かったので、頷ける数字ですが、衣食住すべてが比較にならないほど恵まれている今できないはずはないと思います。
思いやりや助け合いや支え合い、さらに敬意や感謝などの、美しい知性や感性を身に着けて育った子供は、社会に出て多くの人に好かれるでしょう。
さらにマナーを家庭で教わった子どもは、人間関係を築く力もありますから、世界屈指の長い人生を豊かに過ごせるはずです。
そのような子どもを育てるお母さんこそ、真のマナー美人だと思うのですが・・・。
戦後日本の社会も家庭も大きく変化しました。
特に教育の普及は目覚ましく、高校進学率も大きく伸び、女性の高学歴化が進みました。それに伴い女性の活躍が目覚ましくなったわけですがすばらしいことです。
しかし母親が中心であった家庭教育は危機に直面している気がします。今では「若い時の苦労は買ってでもさせる」ことはなくなりました。
マナー教育しかりです。
学校や塾任せが多い気がしますが、如何でしょうか・・・。
しかしこれは親が担うべきだと考えます。
家庭でのしつけの復権を試みて欲しいものですね。
すぐには無理だとしても理想は持ち続けていただきたいものです。