マナーうんちく話680《冠婚葬祭7、結婚の目的とマナー》
日本は世界屈指の長寿社会を迎えておりますが、長い、長い人生にはいろいろなことが起こります。
良いこともあれば悪いこともあります。
誰しも同じでしょう・・・。
恋愛が成就して結婚式を挙げ、子どもを授かり、その子どもが入園・入学を迎えるなど、目出度いことも多々あるでしょう。
しかし伴侶との別れもあれば、家族や親しい友人との死別も経験します。
また地域の世話役になり、祭りや盆踊りなどを開催することもあるでしょう。
喜び、怒り、悲しみ、楽しみの4つの感情を文字通り「喜怒哀楽」と言います。
一般的にはさらにポジチェブな感情も、ネガティブな感情も総称して喜怒哀楽と言いますが、人生はまさに喜怒哀楽が織りなす一大叙事詩と言えるかもしれません。
そして昔から、人の一生には4つの大きな儀式があるといわれてきました。
「冠婚葬祭」の儀式で、冠礼、婚礼、葬儀、祖先の祭祀を指します。
特に結婚式と葬儀はとても厳粛な儀式とされ、今でもこれらの儀式に参列するときには緊張します。
しかしこのような緊張感が、互いの絆やかかわりを深めてきたことも事実です。
最近この冠婚葬祭が影をひそめてしまった気がしてなりません。
新型コロナがそれに拍車をかけたことも間違いないでしょう。
まず婚姻の届け出数が激減しました。
1972年には約110万件あった結婚の届け出数が、2018年には約59万件に激減しています。
加えて1990年代に入り媒酌人が影を潜めました。
このころから結婚式の様子も大きく変わり「何でもあり」になってきた感があります。
当時私はホテルでブライダルの仕事に従事していましたがが、結婚に関する情報誌の影響が大きかったと思っています。
そしてやがて葬儀が同じ運命をたどるという思いがよぎりました。
その思いは的中し、葬儀も大きく変わりましたね。
日本は超高齢社会に陥り、世界一の高齢社会になっていますが、これは裏を返せば高齢者が多い社会です。
亡くなる人は増え続けています。
つまり葬儀の需要は右肩上がりですが、昔のような「一般葬」が減少の一途をたどり、「家族葬」や「直葬」が増えたということでしょう。
これに加え「日本の伝統行事」も、クリスマス・バレンタイン・ハロウィーンなどの西洋文化に押され影を潜めたり、意味が薄れてきました。
なぜでしょう?
日本は稲作を中心とした農耕文化で栄え、家族や村落のように、血縁や地縁による共同体を築き、政治、経済、風習などと深くかかわってきましたが、これらの共同体が崩壊してきたことが大きな原因だと考えます。
働き方改革やコロナの影響で、出社不要のリモート・ワークが普及してくると、職場の人間関係も大幅に変わりましたね。
これに伴い、結婚や葬儀はおろか、忘年会不要論も出てきました。
つまり家庭でも、地域でも、職場でも関りが薄れ、人間関係が希薄になったということです。
あらゆるものが「個人化」してきたということでしょうか・・・。
物は豊かになり、便利な世の中にはなりましたが、このようなことで日本は本当に幸せな国になるのでしょうか。
個人的には大変由々しき状態だと危惧します。
勿論共同体の束縛から解放され、自由になればいい面も多々あります。
反面自己責任が伴います。
つながりや絆は稀薄化し、他者とともに支え合い、助け合って生きていこうとする共同体の本質が失われます。
これは実に寂しいことです。
災害の時には困るでしょう。
今の政治にも頼れないでしょう。
だからこそ、古い社会生活の中で生き続けてきた「しきたり」や「風習」を見直し、暮らしの知識を深めたり、対人関係の礼儀作法を身に着け、普段から周囲と良い関係を築く必要があると思っています。
そのためには日本の伝統行事の意味や意義を正しく理解する必要があると考えます。それを無視してSDGsの追及はないと思うのですが・・・。
現在私が主催している「生涯楽習大学」では、デジタルに依存するよりも、対面交流に重きを置いて、周囲との良好な人間関係を築き深めて、心豊かな生活をするために、冠婚葬祭の意味や意義を積極的に発信しています。