マナーうんちく話604≪武士は食わねど高楊枝≫
ある講演先で、主催団体の世話役で、地域の役員の御婦人から伺った話です。
「日頃から懇意にしている人があるお願いに来られた際、家の敷居を踏んだまま長々話をされました。社会的地位があり、しかも高学歴を有し、実力もあるので尊敬していたのですが、それ以来すっかりその人に嫌気がして、疎遠になってしまった」ということです。
マナーは法律ではないので、違反した場合にも罰則規定はありません。
しかし悪気はなくても、知らず知らずしている行為が思わぬ結果につながるケースは多々あります。
特に地位が高い人ほど素敵なマナーを発揮してほしいものですね。
敷居は踏むものではなく、またぐものです。
ではなぜ踏んではいけないのでしょうか?
諸説あります。
「畳のへりを踏んではいけない」理由と似ていますが、忍者がある人物を殺傷するにあたり、縁の下にもぐって、畳と畳の間から差し込む光の具合により、その人物の居場所を探り、縁の下から刀を差し込むからという理由があります。
いくら優秀な忍者と言え、神業のようで、信ぴょう性に欠ける気がしますね。
ところで「敷居」とは何でしょう。
超高齢化に伴うバリアフリー化や西洋様式の住居の増加で、敷居の存在が薄れてきた感がありますが、日本建築ではとても大事な建具の一つです。
敷居とは、家の内と外との仕切りとして敷く横木です。
また部屋の境に敷くこともあります。障子や襖などを、開けたり、閉めたりするための溝やレールが付いた横木も敷居です。
つまり敷居は床ではなく、建具の一部であり、簡単に取り換えが利かないパーツだから大切に扱わないといけないわけです。
だから敷居は踏むものではなく、またぐものという説も存在します。
ちなみに、障子や襖をはめ込むために、下部ではなく上部に付けられた横木は「鴨居」といいます。
また敷居は家の外と内の「結界」だから踏んではいけないという理由もあります。
恐らくこれが有力な説だと思います。
結界とは《マナーうんちく話》にも何度も登場した言葉ですが、聖なる場所と俗なる場所(一般の場)との境で、本来は仏教用語です。ただ「しめ縄」に表現されるように神道にも同じ概念があります。
和の礼儀作法では、上座と下座の結界などという表現もあります。
改まった座礼の時扇子を置くのも、和食の箸を横に置くのも同じ概念です。
結界は、こちらでもない、そちらでもない。つまり、どちらにも属しないとても不安定な場ですから、多くのタブーが存在したのでしょう。このように、結界は不気味な存在で、心を不安定にさせるので昔の人は非常に嫌ったようですね。
敷居は、家の主人と客とを区別する結界の意味を有しているので、その家の格式や秩序を守る意味においても「敷居を踏む」ことを特に戒め、躾の基本にしたのだと思います。
また「座布団」はおしりと畳のクッション的役割もありますが、礼儀作法の世界では、もともと高貴な方を敬い、もてなすために用意されたものです。
だから座布団も踏まないようにして下さいね。
「敷居はまたぐ」、「座布団は勝手に動かさない・裏返やさない・踏まない」と覚えておいてください。
加えて、高級すぎてハードルが高く、気軽に行けないことを「敷居が高い」と表現しますが、本来は「その家に不義理なことをして、その人の家に行きづらい」ことを敷居が高いと言います。一方「敷居をまたぐ」とは家の中に入ることです。
次回は不安定なタブーの例として「節分の豆まき」を取り上げます。