マナーうんちく話499≪習慣は第二の天性なり≫
最近「清く、貧しく、美しく」といわれた日本はどこに行った?と思えることが多々あります。
もちろん貧しい国から豊かな国になることは良いことですが、時代がいかに変わろうとも常に清く・美しく会って欲しいものですね。
オリンピック入場券の当落や老後2000万円の話題がクローズアップされていますが、どうも自分の事ばかりに目が行く人が増えてきている感がぬぐえません。
一年後にオリンピックを控え大勢の外国人を迎えるに当たり、目先の話題に触れるより、多くの国の人々から敬意をもって「魅力ある素晴らしい国だ」と思われるような国づくりをみんなで真剣に考え、行動に移すことが重要な課題と考えますが、如何でしょうか・・・。
勝負の勝ち負けや経済効果ばかりの話題が目立ち、本来あるべき姿が全く浮かんでこないのは寂しい限りですね。
ちなみに魅力ある国づくりには多様な捉え方があります。
非常に速いスピードで進展するグローバル化、情報化に素早く対応し、安心・安全・そして充実した社会のシステムを構築することも大切でしょう。
加えて多くの国の人が最も羨ましがる豊かな四季と調和し、治安や秩序が維持され、社会保障が整備された豊かで平和な社会もしかりです。
そしてマナー講師として特に目を向けたいのが豊かな「人間性」の育成です。
つまり「礼節の国」の復活です。
日本は物が豊かで、便利で、選択肢がとても多い恵まれた国になったものの、個性、自分らしさ、権利ばかりに重きが置かれ、協調性や品格といったキーワードが次第に影を潜めていく気がしてなりません。
もともと日本は四季が美しく、そこに暮らす人も貧しさを恥ともせずに、常に他者に思いやりを持ち、清く正しく生きてきた国です。
読み、書き、そろばんといった教育水準も非常に高く、自然との調和、挙動の礼儀正しさ、整理整頓、清潔などをも重んじ、貧しくとも凛とした態度で生きてきたわけです。
だからこそ「たてば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」などという諺が生まれたのでしょう。
江戸末期から明治になって日本を訪れた欧米諸国の高官が、日本のこの姿を見て感動したといわれていますが、立ち居振る舞い、挨拶、食事の作法、贈答の文化などいずれも世界に誇れる素晴らしい文化だと思います。
ただ日本の礼儀作法は実に細かく、厳格で、形骸化しているという見方もあるようですが、裏を返せばそれだけ、相手に対して「思いやりの心」をきちんと伝えたいという気持ちが強いということだと考えます。
つまり平和な社会背景から醸し出された日本の礼儀作法の根底には、相手を思いやる心が存在するということです。
繰り返しになりますが個を強調し。危機管理的要素が強い国のマナーとは一味も二味も違うわけです。
これはユネスコの無形文化遺産に登録された「和食」に込められた多彩なマナーにも端的に表現されています。
そしてこの気持ちが国や郷土を愛する気持ちを育むことになるわけでしょう。
先人がせっかく素晴らしい文化を残してくれたにもかかわらず、残念ながら現代人はそれを真摯に受け止めていないような気がします。
美しい箸や器使い、和室での立ち居振る舞い、年中行事、二十四節気、さらに自然や周囲への配慮などに無関心な人が目立ちます。
困ったことだと思います。
次回に続きます。