マナーうんちく話499≪習慣は第二の天性なり≫
多くの研修会を担当して強く思うことがあります。
最近の人は個性や権利を主張する人がやたらと増えたことと、同時にストレスに対する耐性が弱い若者が多くなったことです。
褒められたらやる気を出す人は多いのは確かです。
でも、誰しも完璧ではありません。
時にはミスもあります。
そんな時には、見て見ないふりはできません。
誰かが注意します。
それがお客様であるか、同僚か、先輩や上司になるか?
さらに優しく注意する人もあれば、厳しく注意する人もいます。
間違いを犯したのだから仕方ないと我慢して、反省し、二度とミスのないように心がけるか?
あるいは、些細なミスに対して、そんなに厳しく言わなくてもと反感的態度を示すか、あるいは他人のせいにして言い訳に徹するか?
両者には大きな違いがあります。
また、厳しく注意されたことに対して、それをパワハラととるか?叱咤激励と前向きにとるか?人それぞれです。
不必要に大きな声で注意する、人前で無神経に注意する、何度も何度も注意するなど、パワハラと疑われる要因はあるにせよ、聖人君子でもない限り、何もかも杓子定規には参りません。
色々なシーンに対応できる柔軟な姿勢が必要だということです。
加えて、時と場合によりますが、ある程度は「絶える力」も身に付けて頂きたいものです。
「樫の木と葦」という話がイソップ物語にあります。
小川の辺に樫の木と葦が生えていました。
ある日ハリケーンが北から突進してきました。
葦はハリケーンに逆らうことなく、頭を低くして耐えましたが、樫は誇らしげにハリケーンと戦いました。
ハリケーンはさらに猛威を振るうわけですが、葦は最初からハリケーンに譲歩しているので無傷で済みます。
一方樫はついに力づき根元から根こそぎ押し倒されました。
「葦のようにしなやかであれ」。
「樫のようにかたくなになるな」という教えです。
逆らっても無駄であるときには、愚かな抵抗はしないで、従順な方が滅ぼされなくていいという意味でしょう。
「耐えること」の大切さを物語は教えてくれていると思うのですが、如何でしょうか?