マナーうんちく話499≪習慣は第二の天性なり≫
人間社会において、いつの時代から礼儀作法なるものが芽生えたかは、定かでは有りません。
原始時代にそれらしきものが芽生えたとしたら、恐らく皆で食事をする時に、若くて元気のいい男が狩りに行き獲物をしとめ、体の弱い年寄りや、子どもや、女に平等に与えたのが始まりだと想像できます。
しかし、その裏には、力関係を誇示し、主従の繋がりを要求した事実が隠されているかもしれませんね。
そして時代が進み、文明や文化が定着してくると、邪気を払ったり、豊作や子孫繁栄や健康を祈願し、様々な儀式に美意識が組み込まれ、今のように様式化されてきます。
また、記録として残り 後世に伝えられたのだと思います。
ただ、形式に重きを置く儀式と異なり、礼儀作法は「誠意」や「思いやり」といった心が伴っていなければ意味がありません。
従って礼儀作法は、尽くす側も、受ける側も、素直な気持ちが大切だと言うことです。
礼儀作法は、良好な人間関係を築いたり、維持したりする潤滑油であると言われますが、ビジネスやプライベートでも非常に功を奏することがあります。
例えばマナーに精通しておれば、ビジネスシーンにおいてはお客様や上司や取引先の人に対して、素敵なマナーを発揮することができるので、相手に好印象を与え、ことは順調に運びます。
金には変えられない力になることもあります。
しかし、礼儀作法に日頃から精通していなくて、いざという時に、とって付けた作法を発揮しても、かえって、それが裏目に出て、様々な疑心を生むことにもなりかねません。
就職を控えた学生が、面接試験を受ける際、慌てて短時間に、ビジネスマナーの練習をします。
しかしいくら礼儀正しく振舞っても真心まで素直に発揮することは至難の業だと思います。
面接時に発揮するコミュニケーション能力等もしかりです。
面接試験のために、短期間で特訓を受ける一種の演技のようなもので、本人自身に備わっている真の人柄ではありません。
「にわか作りのマナー」は、メッキがはがれるのは時間の問題です。
つまり、マナーの根源を成す「感謝」「尊敬」「思いやり」の心等は、短時間のセミナー等で学習すれば身に付くものではありません。
幼い時から、家庭で長い時間かけて育まれるものです。
特に、家庭での食卓の在り方は非常に大切です。
だから、このコラムでも、何度も何度も、家庭の食卓の在り方に触れるわけです。加えて様々な講演でも、その必要性を多くの人にお話ししています。
次回に続きます。