マナーうんちく話521≪お心肥し≫
今日で6月も終わりですね。
今年も、一年の半分が過ぎました。
皆様にとっては長い半年でしたか?短い半年でしたでしょうか?
いずれにせよ、残りの半年、元気でご活躍下さいね。
さて、一年の半分が過ぎたところで行われる行事に「夏越の祓え」が有りますが、ご存知でしょうか?
「なごしのはらえ」と読みますが、今まで過ごしてきた半年分の、罪や穢れをはらうと共に、後半の半年が、「何卒元気で過ごせますように!」とお願いする儀式です。
半年単位ですから、12月にも行われます。
毎年、6月の終わり頃になると、大きな神社では見ることができると思いますが、ススキやスゲ、すなわち萱(カヤ)と呼ばれる草で編んだ、人がくぐれるくらい大きな輪が用意されます。これを「茅(ち)の輪」と呼びますが、これをくぐって、穢れや罪を払い、これから半年の無病息災をお願いするわけです。
要するに、年に二回の大事な除災儀礼です。
ところで、私たちも度々神社・仏閣を訪れ、無病息災、商売繁盛、縁談、合格等、様々なお願いごとをする機会が有ります。
いくら科学が進歩したとはいえ、「神頼み」は人の心に生き続けていますね。
そして、その際お賽銭を納めますが、どのようにして、お金を入れますか?
つまり、お賽銭箱に、お金を投げ入れるか、静かに入れるかということです。
お賽銭を納める場合は、色々な人がいます。
ご縁が有りますようにと5円納める人、充分ご縁が有りますようにと15円納める人、中には景気よく1000円や10000円納める人もいます。
縁が遠のくから、十円はダメよ!と言う人もいるようです。
また、静かに入れる人もいれば、景気づけに荒々しく投げ入れる人もいます。
意外に、お賽銭の額や入れ方までこだわって、縁起を担ぐ人が多いようですね。
しかし、お賽銭には縁起は有りませんので、気にすることはないと思います。
また、お賽銭、即ちお金を投げていいのか、悪いかは、特に決まりはないようですが、私はお金を乱雑に扱うのは気が引けますので、お賽銭箱の上から静かに落とします。
昔は、神様に、命に次に大切な物、つまり命の元になる、米や魚や野菜等を納めていたわけですが、やがて、貨幣経済が発達するにつれ、お金が食べ物と同等、あるいはそれ以上に価値が有るようになったので、お金に取って代わった次第です。
その名残もあって、今でもお金の代わりに米を納める人もいます。
要は、お願いごとをするに当たり、食べ物やお金、つまり生きて行くために不可欠の物をお供えして、神様に心意気と言うか、真剣さを表明したわけです。
ただ、神様のご利益は、金額には比例しませんので、心を込めることがなりよりだと考えます。
人付き合いも同様ですね。
ちなみに、神社に奉納する金額は、「初穂料(はつほりょう)」と言いますが、この意味は、その年に初めて収穫した稲や麦などの穀物を、神様にお供えして、収穫を感謝したことに起因します。