マナーうんちく話521≪お心肥し≫
春分の日が過ぎたら、夜が次第に短くなり、明けるのが早くなります。
この現象は今に始まった事ではありませんが、夜が明ける時の感覚は、今と昔ではずいぶん違うようですね。
ところで、丁度今頃の「候の言葉」に、「暁」と「曙」が有りますが、「春はあけぼの・・・」と言ったのは誰だかご存知でしょうか?
「曙」と言えば、10年くらい前に大活躍した、ハワイ・オアフ島出身で、外国出身力士として初めて横綱に昇進した曙を、思い浮かべる人も多いと思いますが、清少納言の「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少し明かりて、むらさきだちたる雲の細くたなびきたる。」の歌も有名ですね。
ちなみに、実際にはまだ暗いけど、夜がそろそろ明ける時は「暁(あかつき)」と表現します。「成功の暁には・・・」などと言いますね。
一方、「曙(あけぼの)」とは、「夜明けの頃」で、夜がほのぼのと明け始める様子です。
「暁」も「曙」も、どちらも夜明けを意味しますが、どちらが明るいのかと言えば曙です。
「暁」は大体午前3時位から午前5時位までで、それ以降は「曙」と表現していたようで、明確な違いが有ったようです。
夜明け前が「暁」、夜明け後が「曙」、この感覚の違いはこの慌ただしい現代においては味わいにくい気がしますが、昔の人はさらに細かく分けていたようです。
「宵」に始まり、「夜中」を経て「夜半」になり、やがて「暁」から「曙」の順に夜が明けて行ったわけですから、ここまで来ると、もうついていけません。
ところで、最近は草食系の男性が多くなり、「男らしさ」「女らしさ」という表現がかなり曖昧になったような気がしませんか?
実は、江戸しぐさでは「男のしぐさ」と「女のしぐさ」には明確な違いが有ったようですよ。
つまり、江戸しぐさでは、男性は「思いやりの心」で接し、女性は「つつましく」と言うしぐさが求められたとか・・・。
例えば、今でも町内会の寄り合い(ミーティング)等が頻繁に有りますが、その際は誰しも、先着順に履き物を脱いで上がります。
しかし江戸時代の男性は、いくら早く会場についても、自分の履物は少なくとも後ろから2列・3列の後に揃えます。
この意味がおわかりでしょうか?
後から来た女性が、またいで上がらなくても済むように、前の列をわざと明けていたのですね。
欧米では、紳士が淑女を優先する「レディーファースト」と言う文化が有りますが、江戸時代にも、これに勝るとも劣らない粋な文化が有ったのですね。
儒教の影響や、家長制度の元に確立された、どちらかと言うと男尊女卑的傾向の高い、当時の礼儀作法が頭によぎりますが、これが本当だったら脱帽ですね。
そして、武家は別として、一般庶民の間では、農家と商家では、求められる女性像はかなり違っていたようです。
今でも、結婚するのを「嫁さんを貰う」と言う表現をする人がいますが、戦後間もない頃までは、嫁を貰うのではなく「手間を貰う」と言っていました。
勿論、ご存知ない方が圧倒的に多いと思いますが、「手間」とは「労働力」です。
田んぼ仕事が忙しいから、結婚して嫁さんが嫁いできてくれると、戦力になると言うことです。従って農家では、若くて健康な女性が好まれたわけですね。
これに対し、商売を営む家では、客の愛想をしなければいけません。
特に、旅館や飲食業では、女性が接客の第一線に立つわけですから、接客態度は大事です。
従って愛想の良い女性が好まれたと言うことです。
清少納言は枕草子で、春は曙、夏は夜、秋は夕暮れ、冬は早朝が良いと言っていますが、男性はレディーファースト心が抱け、女性は美しい笑顔があり愛想が良いのが一番だと思いますが、如何でしょうか?